鳴らない電話
電話が、鳴らないんです。
鳴らないのは携帯電話でもスマートフォンでもなく、我が家の電話。
そして、ここ最近我が家の電話を鳴らすのは実家の父くらい。
結婚を機に実家を出て、ここに住み始めて10年余り、
父が電話を掛けて寄越したのはほぼ皆無。
父にとってこの家は、
娘の暮らす家というよりも、娘のご主人さまの家。
昔気質の父にとり、
ここは気さくに電話を掛けて寄越すような家ではなかったんですよね。
その父の事情が、少しばかり変わったのが2年ほど前のこと。
医師から母の余命を突き付けられ、
父は様々な思いを抱え切れなくなってしまったのでしょう。
「(病院の)先生、なんて言ってたんだ?」
「具合が悪そうに見えるけど、救急車呼ばなくて平気か?」
気丈に振る舞う母の姿が、反って父を不安にさせたのだと思います。
何の助けにもならないことは分かり切っている筈なのに、
父は、私のところへと電話を寄越すようになりました。
それでも多少の躊躇いと遠慮があったのか、
電話を寄越すのは夫が不在の日中ばかり、
朝晩に掛けて寄越すようなことは決してありませんでした。
実は子供の頃より我が家では、
「夜8時以降は電話を掛けてはならない」という決まり事を言われていたんです。
夜間の電話は「身内の不幸」などのっぴきならない事態を告げるもの、
相手を不安に陥れるものだから、そう教わりました。
母が逝って暫く、
父も、大切な家族が欠けたという事態に向き合うことに精一杯だったのでしょう。
父が電話を寄越すこともなくなり、
私たちの連絡網も暫くは以前のように平穏を保っていたのですが……。
遠距離通勤の姉が家を空ける時間が、
父にとってはとてつもなく長く感じられるようになっていったのでしょう。
いつの日か、夕刻になると私のところへ電話を寄越すようになりましたね。
「○○(姉のこと)に伝えてくれる?
『今晩のおかずがないよ』って」
『おかずがない』事態がないことなど分かり切ってはいましたが、
私は決まって「そう、伝えておくね」と返事をし、
父も満足げに「よろしくね」と言って電話を切るのです。
話のネタが、いよいよ見つからなかったのでしょう。
「おかずがない」電話は、その後暫くの間続きましたね。
父の電話が決まって夕刻になるのには理由がありました。
陽が傾き始めるのを合図に、
父は一杯やらずにはいられなくなっていたからでした。
結婚した娘の家へ電話を寄越すのに相変わらず躊躇いがあるのか、
父は素面では決して連絡を寄越してはこないのです。
それがここへ来て、
父は朝に晩にと我が家の電話を鳴らしてくるようになっていました。
しつこいようですが、
素面の父は電話を寄越して来たりはしません。
我が家の電話を鳴らすのは、
ほろ酔いで若干気が大きくなっている父か、
泥酔で自分を抑えることのできなくなっている父なのです。
父はへべれけで、まるで呂律の回らない状態です。
こちらの都合はお構いなしに収拾がつかない話を繰り広げる父に、
軽い殺意、もとい苛立ちを覚えながら、
私はこの不毛な時間が過ぎるのを待ち続けます。
会話自体は、あまり長いものではありません。
立ちっぱなしで電話機に向かう父に、その気力と体力がないからです。
それでも、朝っぱらから電話が鳴った日は「厄日」だと思いましたね。
朝から、否前夜からへべれけ状態が続いているのは明白でしたから。
父の弱さに、悲哀より寧ろ憎悪を覚えたのも事実です。
…………ですが、
一昨日朝の電話を最後に、
我が家の電話は一切鳴りを潜めたままです。
実は一昨昨日、私は父の元を訪れているのですが、
その記憶の一切を消し去ってしまったかのように、
父は翌日朝から電話を掛けて寄越してきたのです。
「今日、来られる?」
「今日は無理かな~(昨日行ったばかりじゃん) 雨降るし」
「そっかぁ。じゃあ……切るね」
殊の外あっさりした父の反応に、
拍子抜けした感は否めません。
それでもいつもの父ならば、
懲りもせず昼に夕にと電話を掛けて寄越す筈なのですが、
この日はなぜかその後一切音沙汰なしで……。
同居の姉によれば「ほとんど飲まないし、食べないし……」
なにやら父はひどく大人しく過ごしている様子なのです。
そう言えば最近、
「元気にしてる? 健康に問題はない?
問題なければいいや。じゃあ、切るぞ」
などと、こちらを惑わすような電話を、
不意に掛けて寄越すようなこともありました。
酒に溺れては自分を見失う父の、
溺れる前の本来の情の深さや優しさが垣間見えてしまうと、
母に先に逝かれた寂しさや遣り切れなさに耐える父の日々を思い、
つい色んなことを許してしまう自分がいるんですよね。
鳴り続ける電話に辟易していた筈なのに、
鳴らないとなると物足りなさを覚えるなんて滑稽だし、
ダメ男に翻弄されながら別れを告げられない優柔不断女に思えてきて、
自分自身になにやら嫌気が差してきてしまいます。





※ 実家の庭の花々です
ここ数日の父はと言えば、
そもそも興味の薄かった食に対し益々関心を示さず、
時間を忘れる為に呷っていたであろう酒に対してもその貪欲さを欠き、
ただひたすら眠りに没頭する日々が続いているようです。
あまり、ひ弱にならないでください、
闘う気力を失くすから。
あまり、いい親にならないでください、
逝かれた時につらいから。
鳴らないのは携帯電話でもスマートフォンでもなく、我が家の電話。
そして、ここ最近我が家の電話を鳴らすのは実家の父くらい。
結婚を機に実家を出て、ここに住み始めて10年余り、
父が電話を掛けて寄越したのはほぼ皆無。
父にとってこの家は、
娘の暮らす家というよりも、娘のご主人さまの家。
昔気質の父にとり、
ここは気さくに電話を掛けて寄越すような家ではなかったんですよね。
その父の事情が、少しばかり変わったのが2年ほど前のこと。
医師から母の余命を突き付けられ、
父は様々な思いを抱え切れなくなってしまったのでしょう。
「(病院の)先生、なんて言ってたんだ?」
「具合が悪そうに見えるけど、救急車呼ばなくて平気か?」
気丈に振る舞う母の姿が、反って父を不安にさせたのだと思います。
何の助けにもならないことは分かり切っている筈なのに、
父は、私のところへと電話を寄越すようになりました。
それでも多少の躊躇いと遠慮があったのか、
電話を寄越すのは夫が不在の日中ばかり、
朝晩に掛けて寄越すようなことは決してありませんでした。
実は子供の頃より我が家では、
「夜8時以降は電話を掛けてはならない」という決まり事を言われていたんです。
夜間の電話は「身内の不幸」などのっぴきならない事態を告げるもの、
相手を不安に陥れるものだから、そう教わりました。
母が逝って暫く、
父も、大切な家族が欠けたという事態に向き合うことに精一杯だったのでしょう。
父が電話を寄越すこともなくなり、
私たちの連絡網も暫くは以前のように平穏を保っていたのですが……。
遠距離通勤の姉が家を空ける時間が、
父にとってはとてつもなく長く感じられるようになっていったのでしょう。
いつの日か、夕刻になると私のところへ電話を寄越すようになりましたね。
「○○(姉のこと)に伝えてくれる?
『今晩のおかずがないよ』って」
『おかずがない』事態がないことなど分かり切ってはいましたが、
私は決まって「そう、伝えておくね」と返事をし、
父も満足げに「よろしくね」と言って電話を切るのです。
話のネタが、いよいよ見つからなかったのでしょう。
「おかずがない」電話は、その後暫くの間続きましたね。
父の電話が決まって夕刻になるのには理由がありました。
陽が傾き始めるのを合図に、
父は一杯やらずにはいられなくなっていたからでした。
結婚した娘の家へ電話を寄越すのに相変わらず躊躇いがあるのか、
父は素面では決して連絡を寄越してはこないのです。
それがここへ来て、
父は朝に晩にと我が家の電話を鳴らしてくるようになっていました。
しつこいようですが、
素面の父は電話を寄越して来たりはしません。
我が家の電話を鳴らすのは、
ほろ酔いで若干気が大きくなっている父か、
泥酔で自分を抑えることのできなくなっている父なのです。
父はへべれけで、まるで呂律の回らない状態です。
こちらの都合はお構いなしに収拾がつかない話を繰り広げる父に、
軽い殺意、もとい苛立ちを覚えながら、
私はこの不毛な時間が過ぎるのを待ち続けます。
会話自体は、あまり長いものではありません。
立ちっぱなしで電話機に向かう父に、その気力と体力がないからです。
それでも、朝っぱらから電話が鳴った日は「厄日」だと思いましたね。
朝から、否前夜からへべれけ状態が続いているのは明白でしたから。
父の弱さに、悲哀より寧ろ憎悪を覚えたのも事実です。
…………ですが、
一昨日朝の電話を最後に、
我が家の電話は一切鳴りを潜めたままです。
実は一昨昨日、私は父の元を訪れているのですが、
その記憶の一切を消し去ってしまったかのように、
父は翌日朝から電話を掛けて寄越してきたのです。
「今日、来られる?」
「今日は無理かな~(昨日行ったばかりじゃん) 雨降るし」
「そっかぁ。じゃあ……切るね」
殊の外あっさりした父の反応に、
拍子抜けした感は否めません。
それでもいつもの父ならば、
懲りもせず昼に夕にと電話を掛けて寄越す筈なのですが、
この日はなぜかその後一切音沙汰なしで……。
同居の姉によれば「ほとんど飲まないし、食べないし……」
なにやら父はひどく大人しく過ごしている様子なのです。
そう言えば最近、
「元気にしてる? 健康に問題はない?
問題なければいいや。じゃあ、切るぞ」
などと、こちらを惑わすような電話を、
不意に掛けて寄越すようなこともありました。
酒に溺れては自分を見失う父の、
溺れる前の本来の情の深さや優しさが垣間見えてしまうと、
母に先に逝かれた寂しさや遣り切れなさに耐える父の日々を思い、
つい色んなことを許してしまう自分がいるんですよね。
鳴り続ける電話に辟易していた筈なのに、
鳴らないとなると物足りなさを覚えるなんて滑稽だし、
ダメ男に翻弄されながら別れを告げられない優柔不断女に思えてきて、
自分自身になにやら嫌気が差してきてしまいます。





※ 実家の庭の花々です
ここ数日の父はと言えば、
そもそも興味の薄かった食に対し益々関心を示さず、
時間を忘れる為に呷っていたであろう酒に対してもその貪欲さを欠き、
ただひたすら眠りに没頭する日々が続いているようです。
あまり、ひ弱にならないでください、
闘う気力を失くすから。
あまり、いい親にならないでください、
逝かれた時につらいから。
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