おばあちゃんと柴
そのブログに巡り会ったのはもう2ヶ月も前のことなのですが……。
相も変わらず自分の中でモヤモヤが止まらないので、
ここで吐き出すことにしました。
書かれていたのは、ペット屋の売れ残り柴ちゃんと、
その子を買おうとしているおばあちゃんのこと。
柴ちゃんは生後半年ほど。
生後1ヶ月半~2ヶ月ほどで売り場に出してしまうペット業界では、
確かに「売れ残り」と言えます。
買おうとしていたのは、背中の曲がったおばあちゃん。
ブログ主さんはおばあちゃんに問い掛けたのだそうです、
「買うの?」と。
おばあちゃんは答えます。
「じいさんが先に逝ってしまって淋しいから飼うの。
番犬代わりに置いとけばいいし」
更に話を続けてみると、
おばあちゃんには身近にお身内もいない、
お子さんもいらっしゃらないということが分かります。
手押し車で歩くのがやっとのおばあちゃんが、
柴を買おうとしている。
堪らずブログ主さんはお店の店長代理さんに向かい
「おばあちゃんに柴を売るのを待ってほしい」と訴えます。
(おばあちゃんの目の届かないところで)
歩くのがやっとのおばあちゃん、
これから15年も20年も生きる可能性のある柴ちゃん。
彼らを二人っきりにしたら、
二人とも不幸になるのは目に見えています。

生後2ヶ月で2キロ近くある。
生後半年だったら何キロ?
おうちまでどうやって運ぶのでしょう?

小さい時はぬいぐるみみたいだし、

こんなふうに寄り添ってくれたりもするし、
動物は人間に癒しを与えてくれますよね。

こんな表情を見せれば、番犬の代わりにもなります。
但し、飼い主相手にこんな顔するヤツがいるのもお忘れなく。

飼い主が倒れればこうして心配もしてくれる。
だけど、独り暮らしのおばあちゃんがもし倒れたら?
おばあちゃんの看病は勿論、
柴ちゃんのお世話は誰がするのでしょう?
「柴ちゃんをおばあちゃんに売るのは止めてほしい」
ブログ主さんの訴えは、
至極真っ当なことであると私も思います。
……ですが、
「その環境では犬を飼うのは難しい」
ブログ主さんはなぜそのことを、
おばあちゃんにきちんとお伝えしなかったのでしょう?
ペット屋に「売らないで」と訴えたところで、
おばあちゃんが「買いたい」と言えば、
ペット屋は売るでしょう、ブログ主さんの見ていないところで。
動物を飼うことの大変さを知らずにおばあちゃんは柴ちゃんを迎え、
おばあちゃんは翻弄され、
柴ちゃんにはストレスが溜まり、
結局みんな不幸になってしまう。

放っておけば構ってちゃんになるし、

叱れば拗ねるし、
動物と暮らすってそんなに容易くない。
「売りたくて(稼ぎたくて)仕方ない」ペット屋に
「売るな」と訴えるのも勇気ある行動ですが、
「買いたい」人たちに「動物と暮らすとはどういうことか」
それをお伝えすることも、
それ以上に大切なことなのではないかと私は思います。
ブログにはペットを展示するガラスケースを見つめる
おばあちゃんの後ろ姿の写真が載せられていました。
最もモヤモヤさせられたのは、ここです。
「手押し車で歩くのがやっと、
近隣に頼れる人もいない高齢者」
これだけ書けば、おばあちゃんの写真は必要なかった筈です。
人権を、侵害しているのでは?
コメント欄に目を通すと、
やはり写真についての否定的な意見が散見されました。
そして、ブログ主さんの逆ギレ気味の返答を目にして、
私はガッカリしてしまったんですよね。
※ 今はコメント欄を閉じているようです。
ブログ主さんは多くの動物の命を救うべく
大変尽力されている方のようです。
賛同しブログ訪問される方も多いようでした。
……ですが、
この記事とコメントへの返答を読み、
動物を愛する者の傲慢を
ここに見てしまったような気がしたんですよね。
動物と暮らすことへの無知を晒され、
弱々しい後ろ姿まで晒されたおばあちゃんのことを思うと、
涙が出てきてしまいます。
たもつのお世話で精一杯、
保護動物のお世話すらしたことのない私が、
このブログ主さんの行動を責めるのは
差し出がましいことなのかもしれません。
それでも、
不幸な動物を減らす為にする行動、
多方面において思い遣りが必要なのではないかと
感じているのです。

一緒に暮らすのはとても幸せなこと。
だけど、責任も重大なんだよね。
相も変わらず自分の中でモヤモヤが止まらないので、
ここで吐き出すことにしました。
書かれていたのは、ペット屋の売れ残り柴ちゃんと、
その子を買おうとしているおばあちゃんのこと。
柴ちゃんは生後半年ほど。
生後1ヶ月半~2ヶ月ほどで売り場に出してしまうペット業界では、
確かに「売れ残り」と言えます。
買おうとしていたのは、背中の曲がったおばあちゃん。
ブログ主さんはおばあちゃんに問い掛けたのだそうです、
「買うの?」と。
おばあちゃんは答えます。
「じいさんが先に逝ってしまって淋しいから飼うの。
番犬代わりに置いとけばいいし」
更に話を続けてみると、
おばあちゃんには身近にお身内もいない、
お子さんもいらっしゃらないということが分かります。
手押し車で歩くのがやっとのおばあちゃんが、
柴を買おうとしている。
堪らずブログ主さんはお店の店長代理さんに向かい
「おばあちゃんに柴を売るのを待ってほしい」と訴えます。
(おばあちゃんの目の届かないところで)
歩くのがやっとのおばあちゃん、
これから15年も20年も生きる可能性のある柴ちゃん。
彼らを二人っきりにしたら、
二人とも不幸になるのは目に見えています。

生後2ヶ月で2キロ近くある。
生後半年だったら何キロ?
おうちまでどうやって運ぶのでしょう?

小さい時はぬいぐるみみたいだし、

こんなふうに寄り添ってくれたりもするし、
動物は人間に癒しを与えてくれますよね。

こんな表情を見せれば、番犬の代わりにもなります。
但し、飼い主相手にこんな顔するヤツがいるのもお忘れなく。

飼い主が倒れればこうして心配もしてくれる。
だけど、独り暮らしのおばあちゃんがもし倒れたら?
おばあちゃんの看病は勿論、
柴ちゃんのお世話は誰がするのでしょう?
「柴ちゃんをおばあちゃんに売るのは止めてほしい」
ブログ主さんの訴えは、
至極真っ当なことであると私も思います。
……ですが、
「その環境では犬を飼うのは難しい」
ブログ主さんはなぜそのことを、
おばあちゃんにきちんとお伝えしなかったのでしょう?
ペット屋に「売らないで」と訴えたところで、
おばあちゃんが「買いたい」と言えば、
ペット屋は売るでしょう、ブログ主さんの見ていないところで。
動物を飼うことの大変さを知らずにおばあちゃんは柴ちゃんを迎え、
おばあちゃんは翻弄され、
柴ちゃんにはストレスが溜まり、
結局みんな不幸になってしまう。

放っておけば構ってちゃんになるし、

叱れば拗ねるし、
動物と暮らすってそんなに容易くない。
「売りたくて(稼ぎたくて)仕方ない」ペット屋に
「売るな」と訴えるのも勇気ある行動ですが、
「買いたい」人たちに「動物と暮らすとはどういうことか」
それをお伝えすることも、
それ以上に大切なことなのではないかと私は思います。
ブログにはペットを展示するガラスケースを見つめる
おばあちゃんの後ろ姿の写真が載せられていました。
最もモヤモヤさせられたのは、ここです。
「手押し車で歩くのがやっと、
近隣に頼れる人もいない高齢者」
これだけ書けば、おばあちゃんの写真は必要なかった筈です。
人権を、侵害しているのでは?
コメント欄に目を通すと、
やはり写真についての否定的な意見が散見されました。
そして、ブログ主さんの逆ギレ気味の返答を目にして、
私はガッカリしてしまったんですよね。
※ 今はコメント欄を閉じているようです。
ブログ主さんは多くの動物の命を救うべく
大変尽力されている方のようです。
賛同しブログ訪問される方も多いようでした。
……ですが、
この記事とコメントへの返答を読み、
動物を愛する者の傲慢を
ここに見てしまったような気がしたんですよね。
動物と暮らすことへの無知を晒され、
弱々しい後ろ姿まで晒されたおばあちゃんのことを思うと、
涙が出てきてしまいます。
たもつのお世話で精一杯、
保護動物のお世話すらしたことのない私が、
このブログ主さんの行動を責めるのは
差し出がましいことなのかもしれません。
それでも、
不幸な動物を減らす為にする行動、
多方面において思い遣りが必要なのではないかと
感じているのです。

一緒に暮らすのはとても幸せなこと。
だけど、責任も重大なんだよね。
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