海のオトコ 東北旅
※ 予約投稿です。

とあるサービスエリア。
朝靄に山も霞んでます。

いるのはここ。
常磐自動車道の中郷SA。
もう間もなく福島県に入るところですよ。
3月1日、常磐自動車道が全線開通しましたからね、
「走るしかないでしょ
」って、夫が言うもんだから……。
3月20日、毎度お馴染み4時半起きで出発だよ

「………………眠い」
顔を埋めるたもやん。
常磐自動車道、アップダウンもウネウネも少なくて、
快適ドライブ
途中二人して言葉を失う現場を目の当たりにしたのですが……。
そのことは、後で書きます。
11時過ぎ、塩釜港に到着。

「いい風だぜ
」
東京出る頃は薄曇りだったんだけど、
いい感じに晴れてきましたよ

「へっへ~
」

「キャッキャッ
」
いつものグダグダ散歩がウソのようだ

「楽しくて笑っちゃうよ~~
」
たもちゃん、波止場のオトコっぽいの撮ろう

「……んなもん」

「できるかーっ!」
たもやんは名残惜しそうだったんですがね、
私たちは訳あってちょっぴりダッシュ

市場が閉まるのが早いんでね。
たもやんに車で待っててもらって、

お昼ご飯。
山盛りの海鮮を前になんですが、
「ギバサ」という海藻(右上の小鉢)が美味しかった。
あはは、安上がりなオンナです
さてさて、次の目的地へ。

車で仮眠を取る夫を置いて、

たもやんとラブラブ散歩

3月20日、花はまだまだ。

……まだまだ。
訪れたのは、

鹽竈神社(塩釜神社)

目立つところに立て看板。
実は出発前、ワンコの立入りについて下調べしたんですよね。
「犬を連れて入ったら注意されました(プンプン!)」
……みたいな投稿があって。
「神様のいる場所だから当たり前です!」
……という投稿も見られて。
以前はなかったようなんですよね、この立て看板。
迷惑を掛ける飼い主に悩まされた結果が、
この立て看板なのかな……と。
寺社を訪れる際、動物を連れてお邪魔してもいいのか、
まずは確認ですよね。
寺社側が快い返事をくださったとしても、
粗相のないよう飼い主は細心の注意を払わなければなりません。

こちらからが表参道。

立派な石鳥居。

凄まじい石段、ギャオー
石段の数、夫と数えながら上りました。

夫の後ろ姿撮るのを言い訳に、ちょっと休憩
石段、202段ありました
上から見るとこんな、

転がり落ちたりでもしたら……




撫で牛。
私 「賢くなりますように」とナデナデ。
夫 「悪いとこ治す牛じゃないと思うけど」
私 「おー、よしよし。ここが気持ちいいのかい」とナデナデ。
夫 「…………」
私 「ほぉら、『気持ちいい』って笑ってる」
夫 「『鬱陶しいぞー』って言ってるように見えるけど」
そうかしらん?
だってほら、

笑ってる。
神社から、

塩釜の海が見えました。
震災のことを思わずにはいられません。
名残惜しいのですが、更に北上です
夫の父方のご先祖様のお墓へご挨拶。

お寺さんのワンコ。
とっても懐っこいです。
夫と相性がいいようで、
「こっち来て、こっち来て
」と手招き、
……じゃなくて足踏みして歓迎
すっごく可愛い
その後伯父夫婦のお宅へお邪魔。
美味しい晩ご飯をご馳走になり、
お土産たくさん頂いて帰途に着きました。
いつもありがとうございます
そして、いつも突撃訪問ですみません
帰宅はまさかの午前2時半過ぎ
まあね、午前様になるだろうとは予想してたけど。
なんだかんだで布団に入ったのは午前4時。
お肌に悪いわー
ヘビーだったけど、とっても楽しい旅でした
ちょっと追記
今回走った常磐自動車道、
福島第一原発での事故の影響により指定された、
居住制限区域及び帰宅困難区域を通ります。
道路脇に見慣れぬデジタル表示を見付けました。

放射線量を示すものです。
帰宅後確認したところ、
9ヶ所に設置されているようです。
恐らくあれが、1つ目の表示板だったと思います。
放射線量が「0.19」マイクロシーベルトを示していたことは、
今でも記憶に残っています。
表示板が現れるのと前後していたかと思います。
窓外に目を遣る私たちの目を釘付けにしたのは、
丸々と太らさせた黒いビニール袋の山、山、山。
みなさんもテレビ映像でご覧になったことがあるかと思いますが、
放射線による汚染土を詰めたビニール袋です。
田畑を埋めるほどのその夥しい数に、
私たちは言葉を失いました。
暫く走ると、「ここより『帰宅困難区域』」の文字が。
あれほど積み上げられた汚染土の袋の山はありません。
何人も立ち入ることのできない状況なのでしょうか。
走行する車からも、見ることができるんですよね、
田舎の立派な一軒家、
屋根瓦は劣化し崩れ落ち、雨戸は外れたまま放置されています。
周囲には雑草が生え、
人の足が入らなくなってからの年月を感じます。
幾つめかの表示板が見えてきました。

放射線量は、5.2マイクロシーベルト。
数値が、極端に上がっていました。
その後表示板の数値は下がり続け、
「帰宅困難区域」を抜けた後は、
一気に、1マイクロシーベルト以下の数値になっていたと思います。
放射線量の変化にも驚きましたが、
やはり私たちの心に影を落としたのは、
夥しい汚染土の山、
それから住む人のない家々の惨状でした。
忘れちゃいけないんですよね、あの日のこと。

なんでもない日常を送れていることに、
私たちは感謝しなくちゃいけないね。

ね? たもちゃん。

とあるサービスエリア。
朝靄に山も霞んでます。

いるのはここ。
常磐自動車道の中郷SA。
もう間もなく福島県に入るところですよ。
3月1日、常磐自動車道が全線開通しましたからね、
「走るしかないでしょ

3月20日、毎度お馴染み4時半起きで出発だよ


「………………眠い」
顔を埋めるたもやん。
常磐自動車道、アップダウンもウネウネも少なくて、
快適ドライブ

途中二人して言葉を失う現場を目の当たりにしたのですが……。
そのことは、後で書きます。
11時過ぎ、塩釜港に到着。

「いい風だぜ

東京出る頃は薄曇りだったんだけど、
いい感じに晴れてきましたよ


「へっへ~


「キャッキャッ

いつものグダグダ散歩がウソのようだ


「楽しくて笑っちゃうよ~~

たもちゃん、波止場のオトコっぽいの撮ろう


「……んなもん」

「できるかーっ!」
たもやんは名残惜しそうだったんですがね、
私たちは訳あってちょっぴりダッシュ


市場が閉まるのが早いんでね。
たもやんに車で待っててもらって、

お昼ご飯。
山盛りの海鮮を前になんですが、
「ギバサ」という海藻(右上の小鉢)が美味しかった。
あはは、安上がりなオンナです

さてさて、次の目的地へ。

車で仮眠を取る夫を置いて、

たもやんとラブラブ散歩


3月20日、花はまだまだ。

……まだまだ。
訪れたのは、

鹽竈神社(塩釜神社)

目立つところに立て看板。
実は出発前、ワンコの立入りについて下調べしたんですよね。
「犬を連れて入ったら注意されました(プンプン!)」
……みたいな投稿があって。
「神様のいる場所だから当たり前です!」
……という投稿も見られて。
以前はなかったようなんですよね、この立て看板。
迷惑を掛ける飼い主に悩まされた結果が、
この立て看板なのかな……と。
寺社を訪れる際、動物を連れてお邪魔してもいいのか、
まずは確認ですよね。
寺社側が快い返事をくださったとしても、
粗相のないよう飼い主は細心の注意を払わなければなりません。

こちらからが表参道。

立派な石鳥居。

凄まじい石段、ギャオー

石段の数、夫と数えながら上りました。

夫の後ろ姿撮るのを言い訳に、ちょっと休憩

石段、202段ありました

上から見るとこんな、

転がり落ちたりでもしたら……





撫で牛。
私 「賢くなりますように」とナデナデ。
夫 「悪いとこ治す牛じゃないと思うけど」
私 「おー、よしよし。ここが気持ちいいのかい」とナデナデ。
夫 「…………」
私 「ほぉら、『気持ちいい』って笑ってる」
夫 「『鬱陶しいぞー』って言ってるように見えるけど」
そうかしらん?
だってほら、

笑ってる。
神社から、

塩釜の海が見えました。
震災のことを思わずにはいられません。
名残惜しいのですが、更に北上です

夫の父方のご先祖様のお墓へご挨拶。

お寺さんのワンコ。
とっても懐っこいです。
夫と相性がいいようで、
「こっち来て、こっち来て

……じゃなくて足踏みして歓迎

すっごく可愛い

その後伯父夫婦のお宅へお邪魔。
美味しい晩ご飯をご馳走になり、
お土産たくさん頂いて帰途に着きました。
いつもありがとうございます

そして、いつも突撃訪問ですみません

帰宅はまさかの午前2時半過ぎ

まあね、午前様になるだろうとは予想してたけど。
なんだかんだで布団に入ったのは午前4時。
お肌に悪いわー

ヘビーだったけど、とっても楽しい旅でした

ちょっと追記

今回走った常磐自動車道、
福島第一原発での事故の影響により指定された、
居住制限区域及び帰宅困難区域を通ります。
道路脇に見慣れぬデジタル表示を見付けました。

放射線量を示すものです。
帰宅後確認したところ、
9ヶ所に設置されているようです。
恐らくあれが、1つ目の表示板だったと思います。
放射線量が「0.19」マイクロシーベルトを示していたことは、
今でも記憶に残っています。
表示板が現れるのと前後していたかと思います。
窓外に目を遣る私たちの目を釘付けにしたのは、
丸々と太らさせた黒いビニール袋の山、山、山。
みなさんもテレビ映像でご覧になったことがあるかと思いますが、
放射線による汚染土を詰めたビニール袋です。
田畑を埋めるほどのその夥しい数に、
私たちは言葉を失いました。
暫く走ると、「ここより『帰宅困難区域』」の文字が。
あれほど積み上げられた汚染土の袋の山はありません。
何人も立ち入ることのできない状況なのでしょうか。
走行する車からも、見ることができるんですよね、
田舎の立派な一軒家、
屋根瓦は劣化し崩れ落ち、雨戸は外れたまま放置されています。
周囲には雑草が生え、
人の足が入らなくなってからの年月を感じます。
幾つめかの表示板が見えてきました。

放射線量は、5.2マイクロシーベルト。
数値が、極端に上がっていました。
その後表示板の数値は下がり続け、
「帰宅困難区域」を抜けた後は、
一気に、1マイクロシーベルト以下の数値になっていたと思います。
放射線量の変化にも驚きましたが、
やはり私たちの心に影を落としたのは、
夥しい汚染土の山、
それから住む人のない家々の惨状でした。
忘れちゃいけないんですよね、あの日のこと。

なんでもない日常を送れていることに、
私たちは感謝しなくちゃいけないね。

ね? たもちゃん。
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