誤変換ですよ
週末、実家で高校野球を観ていた時のことです。
幼かったあの日、
こうして家族揃って野球を観ていた時のことを思い出していた私は、
ふと呟きました。
「子供の頃さ、
『アンパイア』のこと『アンパン屋』だと思ってたんだよね~」
父「ん?」
姉「へ!?」
………………暫しの静寂。
私「え? 思わなかった?」
二人「…………」
私「……てか、子供の頃『アンパイア』なんて言葉知らないじゃん」
二人「…………」
私「思わなかった?
なんで野球場に『アンパン屋』がいるんだろ?って」
姉「はぁ?」
私「え? だからさ……。
あぁ、あの人(審判)アンパン屋さんなんだろうな~って思ってたんだよね。
本業はアンパン屋さん。……で、野球の時は審判。
なんて言うか、その、『アンパン屋』っていうのは屋号って言うか……。
あぁ、あの審判の家、老舗の『アンパン屋』なんだろうなぁって」
姉「へぇ?」
私「え? え? 思わなかった?」
姉「……思わないよ」
父(涙を流しながら、飯粒食べ零しながら、爆笑)
私「……てか、思うでしょ?
ほら『台風一過』を『台風の一家』だと思ってた……みたいな」
姉「ははぁ~ん」
実際、よくありますよね、こういった誤った変換。
「台風一家」☓ 「台風一過」○
「うさぎ美味しかの山」☓ 「うさぎ追いしかの山」○
「孫にも衣装」☓ 「馬子にも衣装」○
「バルブが弾ける」☓ 「バブルが弾ける」○ (← 知人の話)
まあ、ちょっとした思い違いなら一時恥を掻くだけ、
笑い話で済みますけどね。
このところの私の周辺、
ちょっとした思い違いが、ちょっとも笑えない状況を引き起こす件が、
多々発生しています。
思い違いが多いのは、実家の父です。
父も齢八十、忘れっぽくなったことも思い違いが多くなったことも、
至極当たり前のことだと受け止めてはいます。
ただ父自身「あれれ? そうだったっけ~?」と、
軽い気持ちで思い違いを認めることができない。
私「○○って、言ったじゃん」
父「……言わないよ」
その応酬で済ませられる程度の案件ならば、寧ろ安泰です。
父曰く「今日こっちに来るって言ったじゃないかっ!」
(言ってないけどね~。
……てか、こりゃ急遽出向かないとマズイ事態ですかね)
父曰く「酒買ってきてって頼んだのに!」
(頼んでないけどね~。
……てか、酒なんか呷ったら、またちゃぶ台引っくり返すだろーが)
父曰く「お前、なんで(うちに)居るんだ?(転寝から目覚めた時の台詞)」
(あんたが呼んだからでしょ。
……てか、さっきからずーっとお世話してるし)
これくらいならまあ、
ウォーミングアップレベルってとこでしょうか。
酷いのは昼夜の区別が付かない時、
そして、曜日の感覚が鈍っている時です。
先日も同居の姉の居ぬ間に、
ちゃぶ台が豪快にひっくり返されていたようで……。
呼べども返事がない、呼べども駆け付けてこない、
呼べども父親の俺様を無視し続けている……。
勝手にそう思い込んだ父、
齢八十、ありったけの力を振り絞り、
重量級のちゃぶ台をひっくり返したようです。
時は平日の真昼間、当の姉は会社で仕事中だというのに……です。
恐らくその後、父もさすがに「平日の午後、娘は会社だ」と理解した筈です。
それでも返したちゃぶ台を戻すこともなく、
飄々とやり過ごしていたかと思うと殺意すら覚えてしまいます。
あ、父に殺意を抱くのは幼少期以来のことなので、
自身は戸惑いすら覚えていません。
私の記憶にある限り、
父という人間は、決して自分の非を認めず、
他人が正そうとすれば更に意固地になり、
酒が入っていれば殊更に性質が悪く、
そこらの物を破壊し、周囲の人間を甚く傷付けてきました。
そんな父の記憶力や理解力が著しく衰えた今、
「アンパン屋」は「アンパイア」違いだよなんて
笑って済ませられる程度のものならまだしも、
今後どれほど重度な思い違いが、
父と私たちとを隔絶させるかと想像すると、
日々気を病むばかりで大切なことも手に付かず、
父からの電話を怯えながら待つ私は、
今日もまた、一日を無駄にやり過ごしてしまうことになるのです。
今日昼過ぎに来た父からの電話、
「明日か明後日か分からないけど、都合がつけば行くから」と返した私の言葉、
父の中では既に「明日来る♪」と誤変換されているに違いありません。
老齢の父が自身に都合よく脚色を加えながら誤変換してしまうことで、
今後も悶着が増えることはあれ
減ることなど期待できそうにないのです。
父の思い違いや記憶違いを丁寧に掬い上げ、
どこまで手を差し伸べて行けるかが今後の私たちの課題です。
土曜日、所用で神田明神を訪れました。



発つ頃には陽が落ちてきていましたが、
燈明が灯り更に美しさを増していましたね。
古いお守りを古神札納め所に納め、
新しいお守りをいただきました。

おねがい兎の御守です。

願い事を記した短冊を託すとウサギさんが大国様に届けてくれる……のだそうです。
因幡の白兎の故事にあやかった御守です。
最近のたもやん。

ワンコも花を愛でるんです。


ここまでは3月19日。
今日の桜、

そろそろ葉桜になってきました。
河原のソメイヨシノは、まだまだ蕾も硬いです。
※みなさんのところへなかなかお邪魔できないような状況です。
たまに押し掛けても読み逃げばかりですみません
幼かったあの日、
こうして家族揃って野球を観ていた時のことを思い出していた私は、
ふと呟きました。
「子供の頃さ、
『アンパイア』のこと『アンパン屋』だと思ってたんだよね~」
父「ん?」
姉「へ!?」
………………暫しの静寂。
私「え? 思わなかった?」
二人「…………」
私「……てか、子供の頃『アンパイア』なんて言葉知らないじゃん」
二人「…………」
私「思わなかった?
なんで野球場に『アンパン屋』がいるんだろ?って」
姉「はぁ?」
私「え? だからさ……。
あぁ、あの人(審判)アンパン屋さんなんだろうな~って思ってたんだよね。
本業はアンパン屋さん。……で、野球の時は審判。
なんて言うか、その、『アンパン屋』っていうのは屋号って言うか……。
あぁ、あの審判の家、老舗の『アンパン屋』なんだろうなぁって」
姉「へぇ?」
私「え? え? 思わなかった?」
姉「……思わないよ」
父(涙を流しながら、飯粒食べ零しながら、爆笑)
私「……てか、思うでしょ?
ほら『台風一過』を『台風の一家』だと思ってた……みたいな」
姉「ははぁ~ん」
実際、よくありますよね、こういった誤った変換。
「台風一家」☓ 「台風一過」○
「うさぎ美味しかの山」☓ 「うさぎ追いしかの山」○
「孫にも衣装」☓ 「馬子にも衣装」○
「バルブが弾ける」☓ 「バブルが弾ける」○ (← 知人の話)
まあ、ちょっとした思い違いなら一時恥を掻くだけ、
笑い話で済みますけどね。
このところの私の周辺、
ちょっとした思い違いが、ちょっとも笑えない状況を引き起こす件が、
多々発生しています。
思い違いが多いのは、実家の父です。
父も齢八十、忘れっぽくなったことも思い違いが多くなったことも、
至極当たり前のことだと受け止めてはいます。
ただ父自身「あれれ? そうだったっけ~?」と、
軽い気持ちで思い違いを認めることができない。
私「○○って、言ったじゃん」
父「……言わないよ」
その応酬で済ませられる程度の案件ならば、寧ろ安泰です。
父曰く「今日こっちに来るって言ったじゃないかっ!」
(言ってないけどね~。
……てか、こりゃ急遽出向かないとマズイ事態ですかね)
父曰く「酒買ってきてって頼んだのに!」
(頼んでないけどね~。
……てか、酒なんか呷ったら、またちゃぶ台引っくり返すだろーが)
父曰く「お前、なんで(うちに)居るんだ?(転寝から目覚めた時の台詞)」
(あんたが呼んだからでしょ。
……てか、さっきからずーっとお世話してるし)
これくらいならまあ、
ウォーミングアップレベルってとこでしょうか。
酷いのは昼夜の区別が付かない時、
そして、曜日の感覚が鈍っている時です。
先日も同居の姉の居ぬ間に、
ちゃぶ台が豪快にひっくり返されていたようで……。
呼べども返事がない、呼べども駆け付けてこない、
呼べども父親の俺様を無視し続けている……。
勝手にそう思い込んだ父、
齢八十、ありったけの力を振り絞り、
重量級のちゃぶ台をひっくり返したようです。
時は平日の真昼間、当の姉は会社で仕事中だというのに……です。
恐らくその後、父もさすがに「平日の午後、娘は会社だ」と理解した筈です。
それでも返したちゃぶ台を戻すこともなく、
飄々とやり過ごしていたかと思うと殺意すら覚えてしまいます。
あ、父に殺意を抱くのは幼少期以来のことなので、
自身は戸惑いすら覚えていません。
私の記憶にある限り、
父という人間は、決して自分の非を認めず、
他人が正そうとすれば更に意固地になり、
酒が入っていれば殊更に性質が悪く、
そこらの物を破壊し、周囲の人間を甚く傷付けてきました。
そんな父の記憶力や理解力が著しく衰えた今、
「アンパン屋」は「アンパイア」違いだよなんて
笑って済ませられる程度のものならまだしも、
今後どれほど重度な思い違いが、
父と私たちとを隔絶させるかと想像すると、
日々気を病むばかりで大切なことも手に付かず、
父からの電話を怯えながら待つ私は、
今日もまた、一日を無駄にやり過ごしてしまうことになるのです。
今日昼過ぎに来た父からの電話、
「明日か明後日か分からないけど、都合がつけば行くから」と返した私の言葉、
父の中では既に「明日来る♪」と誤変換されているに違いありません。
老齢の父が自身に都合よく脚色を加えながら誤変換してしまうことで、
今後も悶着が増えることはあれ
減ることなど期待できそうにないのです。
父の思い違いや記憶違いを丁寧に掬い上げ、
どこまで手を差し伸べて行けるかが今後の私たちの課題です。
土曜日、所用で神田明神を訪れました。



発つ頃には陽が落ちてきていましたが、
燈明が灯り更に美しさを増していましたね。
古いお守りを古神札納め所に納め、
新しいお守りをいただきました。

おねがい兎の御守です。

願い事を記した短冊を託すとウサギさんが大国様に届けてくれる……のだそうです。
因幡の白兎の故事にあやかった御守です。
最近のたもやん。

ワンコも花を愛でるんです。


ここまでは3月19日。
今日の桜、

そろそろ葉桜になってきました。
河原のソメイヨシノは、まだまだ蕾も硬いです。
※みなさんのところへなかなかお邪魔できないような状況です。
たまに押し掛けても読み逃げばかりですみません

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