平屋の娘
子供の頃、平屋に住んでいました。
私たちが暮らしたその家は、
大工だった父が建てたものです。
幼少期を過ごした狭小な土地には程よく見えたその家も、
その後、私が七歳のとき移り住んだ少々広めの今の場所には
なぜか不釣合いに見えたことを覚えています。
広すぎる庭の最も奥まった場所に建つその家は、
父が次々に植えた木々に覆われ、
俗世から離れ身を隠す人の住まう家屋のようでもありました。
一時は竹藪に覆われていたこともあり、
近隣の子供は寄り付くのを恐れるほどの様相でもありましたね。
当時、近隣に建ち並ぶ家々は二階建てが主流で、
私たちの暮らすその家はやけにちっぽけで奇異なものに、
小学生の私の目には映りました。
子供たちには一人一部屋を与えられるのが前衛的な家庭であり、
六畳ひと間を姉と共有する私は、
世の子供たちに後れを取っていると感じずにはいられませんでしたね。
それは、同級生の家に遊びに行った時のことです。
その子の住まいは県営住宅の四階にありました。
初めて上る団地の階段と、
初めて目の当たりにした重厚な玄関扉と、
何より、首からぶら提げた鍵で手品のように玄関を開けてみせた彼が
子供の目にはやけに眩しく、
その瞬間のこと、ガチャガチャ言った開錠の音は、
今でもはっきりと脳裏に焼き付いているんですよね。
新鮮な体験を一刻も早く母に披露したい私は、
帰宅するなりこう叫びました。
「おかーさん。私、鍵っ子なりたい」
母は、仰天したでしょうね。
いや、はっきりとは覚えていないんです、母の反応。
ただ、こんな会話を交わしたことは覚えています。
母「どうして鍵っ子になりたいの?」
私「だってカッコイイもん。スズキくん、鍵っ子なんだよ。
自分で家の鍵開けるんだよ。いいなぁ」
母「どうして……、それがいいの?」
私「だって、自分専用の鍵持ってるんだよ」
鍵なんて大切なもの持たされてるスズキくんは、
親から絶対の信頼を得ているに違いない。
鍵なんて大切なもの持たされてるスズキくんは、
とっても大人なのだ。
母「だって、うちはいつもお母さんがいるもの。
○○(←私のこと)が鍵を持つ必要ないもの」
母は、所謂専業主婦でした。
所要で家を空けることがあっても、
子供たちの帰宅時には必ず家で待っていてくれたんですよね。
私「だけど~。私も自分の鍵で自分で開けて入りたい。
私も、鍵持っていいでしょ?」
母「え~」
その晩恐らく、大人たちの間で話し合いが持たれたのだと思います。
結局、私は鍵っ子になることはできませんでした。
……で、更なる波紋を呼んだのは、
私のもう一つの宣言の方です。
「おかーさん。私、団地に住みたーい」
母「!? どうして、団地に住みたいの?」
私「だって、玄関のドアとかカッコイイから」
実家の玄関はガラガラ言う引き戸、
ギィーと重低音で鳴く団地の玄関扉は、
それはもうとても有り難いものに感じられたんですよね。
私「それにさ、階段もあるし」
母「え?」
私「階段上るの楽しいし」
今考えると、全く以って意味不明な感想ですよね。
それでも平屋に暮らす私にとり、
学校以外で階段を上り下りするなど、ひどく新鮮なことでして。
母「でも、毎日階段上るの大変だよ」
私「そんなことないよ。いいなぁ、階段」
母「…………」
私「それにさ。四階だと、窓から遠くまで見えるんだよ」
四階の小さな窓から見つめた焼けるような夕日を思い出しながら、
私は更に続けました。
「いいなぁ、四階。私も四階に住みたいなぁ」
ここで、四階に限定されてるのも笑っちゃうんですけどね。
結局母からは、団地に暮らせるか否かの回答はもらえず。
夜になってから、私は再び宣言しました。
「わたし、団地に住みたい!」
屈託なくそんな宣言をした私と父とに目を遣りながら、
母は引き攣った笑みを浮かべていましたね。
母は恐らく、父に気を遣っていたのだと思います。
「一国一城の主になるのが男の夢」と語る父は大工。
そして、その父の建てた家に暮らす娘が
「団地に住みたーい」などと声高らかに宣言したものだから、
そりゃ、一家の団欒も一瞬にして凍り付きますよね。
母は内心穏やかでなかったのかもしれませんが、
父が子供だった私を責めることはありませんでした。
ですがそれとは引き換えに、
父の中には久しく引っ掛かっていたことがあったようでして……。
「お前子供の頃
『誰にも見られてないか確認してから門を入る』って、
そう言ってたんだよなぁ。
家がみすぼらしいと思って、恥ずかしかったか?」
私の中にその記憶はひと欠片もないのですが、
父がそう言うので確かにそうなのでしょう。
無邪気だからこそ本音であるに違いないその宣言が、
父を傷付けていたんですよね。
それが理由とも思えませんが、
そこから十数年を経た後、
我が家は二階建ての家へと生まれ変わりました。
設計図をひく段から父はやけに張り切り、
「二階にシャワールームを作ろう」とか
「友達を泊めるベッドルームを作ろう」とか言って、
姉と私に制止されたりもしましたね。
ともかく、二十歳を過ぎて初めて、
私は二階の自室の窓から、
我が家の庭と周辺の家々をこの目で捉えることとなったのです。
可笑しな話ですが、
あんなに広いと思っていた庭は言うほどでもなく、
どれほど遠くまで見渡せるのだろうと想像していた視界は、
それほど開けてはいませんでした。
やはり、あの日団地の小さな窓から見た
心揺さぶる景色はそこにはなく、
私は少々落胆していました。
既に階段への執着も重い鉄扉への憧れも失くしていた私にとり、
以前より大きくなっただけの日本家屋は、
父の大工としての意地の結晶にしか見えず、
その中に父の様々な思いが詰まっていることに
愚かなことに私は気付くことができなかったんですよね。
時が過ぎ……、
不思議なもので、街を歩く私がつい目を留めるのは、
なぜか平屋造りの家屋ばかり。
幼少期の記憶がそうさせるのか、
理由は私にも分かりません。
人とは本当に無責任なもので、
今は平屋の方にこそ魅力を感じてしまうのですから、
これはもう“女心と秋の空”と
父には諦めてもらうより外ないですね。
あ、今更父に
「平屋に戻して」と頼むつもりもありませんがね。
幼少期からマンション暮らしのうちの坊主。

かあちゃん、かあちゃ~ん

甘ったれに育ちました。

ダラリ~ン。

川沿いに建設中のマンション。

河津桜が満開になる頃には完成するのかな?
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