ワクワクし過ぎて
今日は彼岸の明けですね。
彼岸とか言っても、
生活に密着していない方もいらっしゃると思うので……。
「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、
煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」
すなわち【「彼岸」】の境地へ到達することが出来るというものです。
太陽が真東から上がって真西に沈み昼と夜の長さが同じになる
春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、
この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来る
と考えられていたのです。
ふふ~ん、詳しいことは全然知らなかった。
全然知らなかったくせに、
実家では3月の彼岸、8月の盆、9月の彼岸と、
半年ちょっとの間に3回もお墓に馳せ参じているんですよね。
まあ、父方の先祖の墓は車で30分ほどのところにあるので、
それほどの負担がある訳でもないのですが……。
暦を捲るのが暇つぶしのようになっている実家の父、
この秋の彼岸についても早々に暦を確認、
1ヶ月も前には墓参りの日取りを決定しておりました。
その後実家を訪ねる度、私の前で繰り広げられたのは、
思い出したように暦を手にしては赤ペンで印を入れたページを捲り、
墓参りの日程を確認する父の落ち着かない姿でした。
連休は母の墓参りと母方の先祖のそれが予定に加わり、
なにやら慌ただしくなりそうな悪寒に、
私は身震いしながらその時を迎えていました。
母のお墓は実家から車で30分ほどのところにあります。
ですが母方の先祖の墓を訪ねるには、
ちょっとした日帰り旅行を覚悟するほどの時間と体力が必要になってきます。
足腰の弱った父、ひと言文句の多い父、
ついでに酒を切らすのが難しい父を連れ歩くには、
姉と二人強固な協力体制が必要でした。
エレベーターを探し、タクシーを拾い、
口に合う料理を出す食堂を探し、
訪問先の伯父へ贈るウィスキーの瓶と、
父が口にする為の酒の瓶と……。
彼岸が近づくにつれ憂鬱な気分は増していき、
いっそのこと台風でも来てくれやしないかと願う私には、
父がそれほどまでに心躍らせていたことなど、
思いも寄らないことだったのです。
母の墓を訪ねるというその日、
3連休、日本中の車が渋滞に巻き込まれていたであろうその日、
多分に漏れず我が家の車も渋滞の波に呑まれ、
普段の倍ほどの時間を費やし実家を訪ねた訳ですが……。
父の口から出た言葉は、
「3人(姉と私と夫)で、行ってきて」
は!?
「調子が、悪いらしいよ」
父の言い訳を、
呆れ顔した姉が代弁してみせます。
久しぶりの「お出掛け」に、
興奮を抑えることができなかったのでしょう。
寝るべき時間に寝なかったり、調子に乗って冷たいもの飲み過ぎたり、
ここ数日、父は大人しく過ごすことができなかったに違いありません。
母の墓参りを父を除いた3人で済ませ、
結局翌日も、
ウィスキー瓶も酒瓶も携えることのないまま、
姉と2人母方の先祖の墓参りに赴くこととなりました。
千葉駅から外房線の勝浦駅まで各駅停車で1時間半ほど、
昔、一部区間が単線だった頃には2時間掛かっていた道のりです。
以前その区間にはトンネルが20個もあり、
子供の頃は「15、16……」とその数を数えるのが楽しみの一つでもあったんですよね。
今ではその数もすっかり減り、
母の田舎も以前より随分と近くなったような気がします。
駅を出て暫く歩くと、

またトンネル。
歩行者・自転車のみが通れます。
実際は、この写真より薄暗くて、
独りで通るのはちょっぴり躊躇われます。
お墓を過ぎてまた歩くと、

こんな感じ。
それからまた暫く歩くと、

母の実家の前の海。
台風が迫っていて、ちょっぴり荒れていました。

夏休みのほとんどを過ごしていた浜辺。
お昼に寄ったお蕎麦屋さんで、

天ぷら蕎麦を頂きました。
「お祖父ちゃん、ここの天ぷら蕎麦好きなんだよ~」
母の言葉を思い出し、私はここではいつも天ぷら蕎麦。
ちょっと濃いめの、昔っぽい味です。
帰りの電車の時間まで間があったので、
ほんの少し寄り道もしてみました。


勝浦漁港近くの海です。
姉は来たことがあると言うけれど、
私はさっぱり記憶から消えていて……。
父も、本当は来たかったに違いありません。
このところの父はと言えば、
母と一番の時間を過ごした居間に居座ったまま、
日がな一日柱を背にテレビに話し掛けて過ごし、
運動と言えば2階の雨戸閉めの為に往復する階段の昇り降りのみ。
今回心待ちにした「お出掛け」も、
過ぎてしまえば瞬きする間に記憶の彼方
ということになってしまうでしょう。
それでも、車窓からの景色を眺めたり、
浜辺でちょっぴり冷たい潮風に当たってみたり、
ささやかな思い出作りでもできたのなら、
父の退屈な日常に彩りを添えてあげられたかもしれません。
墓参りを滞りなく済ませられたのと引き換えに、
なにやら満たされない思いが胸の内で閊えてしまったまま、
このお彼岸は過ぎていったのでした。
夜のたもやん

白柴のはるちゃんと。
ワンコたちを放置して、はるちゃんのママとついつい長話

母ちゃんたち、いつまで喋ってるんだろ……

はぁ~~~
彼岸とか言っても、
生活に密着していない方もいらっしゃると思うので……。
「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、
煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」
すなわち【「彼岸」】の境地へ到達することが出来るというものです。
太陽が真東から上がって真西に沈み昼と夜の長さが同じになる
春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、
この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来る
と考えられていたのです。
ふふ~ん、詳しいことは全然知らなかった。
全然知らなかったくせに、
実家では3月の彼岸、8月の盆、9月の彼岸と、
半年ちょっとの間に3回もお墓に馳せ参じているんですよね。
まあ、父方の先祖の墓は車で30分ほどのところにあるので、
それほどの負担がある訳でもないのですが……。
暦を捲るのが暇つぶしのようになっている実家の父、
この秋の彼岸についても早々に暦を確認、
1ヶ月も前には墓参りの日取りを決定しておりました。
その後実家を訪ねる度、私の前で繰り広げられたのは、
思い出したように暦を手にしては赤ペンで印を入れたページを捲り、
墓参りの日程を確認する父の落ち着かない姿でした。
連休は母の墓参りと母方の先祖のそれが予定に加わり、
なにやら慌ただしくなりそうな悪寒に、
私は身震いしながらその時を迎えていました。
母のお墓は実家から車で30分ほどのところにあります。
ですが母方の先祖の墓を訪ねるには、
ちょっとした日帰り旅行を覚悟するほどの時間と体力が必要になってきます。
足腰の弱った父、ひと言文句の多い父、
ついでに酒を切らすのが難しい父を連れ歩くには、
姉と二人強固な協力体制が必要でした。
エレベーターを探し、タクシーを拾い、
口に合う料理を出す食堂を探し、
訪問先の伯父へ贈るウィスキーの瓶と、
父が口にする為の酒の瓶と……。
彼岸が近づくにつれ憂鬱な気分は増していき、
いっそのこと台風でも来てくれやしないかと願う私には、
父がそれほどまでに心躍らせていたことなど、
思いも寄らないことだったのです。
母の墓を訪ねるというその日、
3連休、日本中の車が渋滞に巻き込まれていたであろうその日、
多分に漏れず我が家の車も渋滞の波に呑まれ、
普段の倍ほどの時間を費やし実家を訪ねた訳ですが……。
父の口から出た言葉は、
「3人(姉と私と夫)で、行ってきて」
は!?
「調子が、悪いらしいよ」
父の言い訳を、
呆れ顔した姉が代弁してみせます。
久しぶりの「お出掛け」に、
興奮を抑えることができなかったのでしょう。
寝るべき時間に寝なかったり、調子に乗って冷たいもの飲み過ぎたり、
ここ数日、父は大人しく過ごすことができなかったに違いありません。
母の墓参りを父を除いた3人で済ませ、
結局翌日も、
ウィスキー瓶も酒瓶も携えることのないまま、
姉と2人母方の先祖の墓参りに赴くこととなりました。
千葉駅から外房線の勝浦駅まで各駅停車で1時間半ほど、
昔、一部区間が単線だった頃には2時間掛かっていた道のりです。
以前その区間にはトンネルが20個もあり、
子供の頃は「15、16……」とその数を数えるのが楽しみの一つでもあったんですよね。
今ではその数もすっかり減り、
母の田舎も以前より随分と近くなったような気がします。
駅を出て暫く歩くと、

またトンネル。
歩行者・自転車のみが通れます。
実際は、この写真より薄暗くて、
独りで通るのはちょっぴり躊躇われます。
お墓を過ぎてまた歩くと、

こんな感じ。
それからまた暫く歩くと、

母の実家の前の海。
台風が迫っていて、ちょっぴり荒れていました。

夏休みのほとんどを過ごしていた浜辺。
お昼に寄ったお蕎麦屋さんで、

天ぷら蕎麦を頂きました。
「お祖父ちゃん、ここの天ぷら蕎麦好きなんだよ~」
母の言葉を思い出し、私はここではいつも天ぷら蕎麦。
ちょっと濃いめの、昔っぽい味です。
帰りの電車の時間まで間があったので、
ほんの少し寄り道もしてみました。


勝浦漁港近くの海です。
姉は来たことがあると言うけれど、
私はさっぱり記憶から消えていて……。
父も、本当は来たかったに違いありません。
このところの父はと言えば、
母と一番の時間を過ごした居間に居座ったまま、
日がな一日柱を背にテレビに話し掛けて過ごし、
運動と言えば2階の雨戸閉めの為に往復する階段の昇り降りのみ。
今回心待ちにした「お出掛け」も、
過ぎてしまえば瞬きする間に記憶の彼方
ということになってしまうでしょう。
それでも、車窓からの景色を眺めたり、
浜辺でちょっぴり冷たい潮風に当たってみたり、
ささやかな思い出作りでもできたのなら、
父の退屈な日常に彩りを添えてあげられたかもしれません。
墓参りを滞りなく済ませられたのと引き換えに、
なにやら満たされない思いが胸の内で閊えてしまったまま、
このお彼岸は過ぎていったのでした。
夜のたもやん

白柴のはるちゃんと。
ワンコたちを放置して、はるちゃんのママとついつい長話


母ちゃんたち、いつまで喋ってるんだろ……


はぁ~~~

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