秘密にしてね
あのことを秘密にしたままで本当に良かったのか、
今でも時折、私は思い悩むことがあるのです。
今年3月女優の坂口良子さんが結腸ガンによる肺炎で亡くなったことは、
みなさん記憶に新しいかと思います。
彼女が病と闘いながら壮絶に生きた最期の日々が、
先日テレビ番組で紹介されていたんですよね。
彼女のことを語ったのは、
前年再婚したばかりだったプロゴルファーの尾崎氏と、
彼女の娘でタレントの杏里さんでした。
私がまず驚かされたのは、
余命を告げられていたのが夫の尾崎氏のみであったということです。
更に、娘である杏里さんには、
余命は疎か、病気の重篤さすら告げられてはいなかったということでした。
杏里さんから見れば尾崎氏は継父であり、
亡くなった坂口さんとの関係性から言っても、
自分の方がより絆が強いと感じていておかしくはありません。
母親の命に関わることを娘である自分に知らされることがなかった現実に、
彼女はひどく傷ついているように見えました。
病気のことを杏里さんにひた隠しにしたのは、
娘の将来を思う坂口さんご本人の強い意志を尊重してのことだったのですが、
尾崎氏は杏里さんに対し償い切れない罪を犯したと感じていると話しておられました。
番組の終盤、立場の異なる二人の思いに耳を傾けながら、
私は、実家の母のときのことを思い出していました。
胃の不調を訴え掛かりつけ医を訪ねた頃、
母はまだ自身が大きな病を抱えていることなど
想像すらしていなかったと思います。
その後回復が見られず医師の勧めで訪れた市営病院で、
その病名と余命を母は実に唐突に、
医師の口から告げられたのだそうです。
「余命は、半年ですね」
いとも簡単にそう告げる医師に、
母は思わず食い下がって言ったそうです。
「本当に半年しか生きられないんですか?」
「半年ですねぇ」
「何をどう頑張っても、半年なんですか?」
「何をどう頑張っても、半年ですね」
現場にいたら、その医者ぶん殴ってやったのに……。
……ともかく、
診察室を出た母は病院まで付き添った父に、
包み隠さずその病状を話して聞かせたそうです。
「ガンだって」
その時の父の反応がどんなものだったのか最早知る由もありませんが、
恐らく父は大袈裟に驚くでもなく、
診察室に飛び込んで医師に詰め寄るでもなく、
ただ黙ったまま、母を隣りに乗せ車を走らせ帰ってきたのだと思います。
数日後実家を訪ねた時も、
妻が余命を告げられたという事実をその記憶から消し去ったかのように、
父はいつもと変わらない様子で振る舞い、
母もまた、なんということもない日常を送っているように見えました。
私たちの中では、
誰一人大袈裟に嘆き悲しむ者もいなければ、
泣き叫んでその現実を否定するような者もいませんでした。
不思議なもので、
家族の中で母の余命宣告という現実は、
あくまでも粛々と受け入れられていったような気がするのです。
残された時間を知った母は、
「半年あれば、あの家にあるガラクタとか片づけられるかな」
と、私たちの前で無理に口角を上げてみせました。
「死ぬこと」を受け入れているようには到底見えませんでしたが、
それでも、残された時間で自分が何をすべきなのか、
母は既に考え始めているようにも見えました。
ただ現実には、
母にはもう半年も時間が残されてはいなかったんですよね。
抗がん剤治療が始まり体調にも波が出るようになると、
家のガラクタを片付ける余力など母にはもう残っている筈もなく……。
結局、約束された半年を思いのまま使うこともなく、
母はあまりにも急ぎ足に半年という期限を待たず逝ってしまいました。
今でも思い残すことはたくさんあります。
見せてあげたかった景色や味わわせてあげたかった食事、
してあげたかった事も伝えきれなかった事も山ほどあります。
それでも「残された時間が半年」だと知らされたことで、
肯定できないまでも私たちは、
心の片隅で「その時」を迎える準備を
始めることができていたのではないかと思うのです。
……ですが、
問題は、母の亡骸とともに病院から戻ったすぐ後に起こりました。
母は、夫と娘たち以外、病気のことを口外することがなかったからでした。
懇意にしていた近隣の友人たちにも、
何十年と親しく付き合った義姉妹にも、
ましてや血の繋がった兄弟にすら、
病気のことを母は明かしてはいなかったのです。
今まで、なぜ知らせなかったのか!
皆一様に、そのような思いがあったに違いありません。
突然の電話でその死を知らされ、
それを容易に受け入れることができるとは到底思えないからです。
大方の予想通り、はっきり物申す母の義姉妹には、
話さないままにこの日を迎えてしまったことを責められましたね。
生前親しく付き合いのあった近隣の方々には特に衝撃が大きかったようで、
「つい最近も買い物する姿を見たばかりだったのに」と、
現実を受け止めるのが容易くないことを思わせました。
ただ、やはり一番悔やまれたのは、
母の血の繋がった兄弟にあまり時間がないという現実を
伝えてあげられなかったということです。
ですが、彼らは決して責めることなく、
ただ静かに妹であり姉である母の死を受け入れようとしているようでした。
病気を知った当初母からは、
「あまり(周囲に)話さないでね」と釘を刺されていたんですよね。
話せば他人は気を遣うことになるし、大袈裟にされるのは苦手だし……、
それが母の本心だったかと思います。
その後治療が始まり病状が一進一退であると知っても、
母が病状を周辺に明らかにすることはありませんでした。
毎週通院に付き添い体調が思わしくない日々が続くのを見ると、
親しかった人には話をした方が良いのではと思うこともありましたが、
結局、私がそう母に進言することはありませんでした。
病気の告白を促すことは「悔いのないように、会えるうちに会っておいて」と促しているようなもので、
それはつまり、「先行きそう長くはないよ」と母に宣告しているようなものだと、
勝手に過敏になっていたからなのかもしれません。
結局、母がなぜ周囲に明らかにしようとしなかったのかは分からず仕舞いで……。
母は負けず嫌いな人でした。
何が何でも病気に打ち勝ち、
余命宣告した医師を前に高笑いしてやろうと思っていたのかもしれないし、
その武勇伝を後々周囲の人に話して聞かせようと目論んでいたのかもしれません。
母は弱さを見せない人でした。
弱った姿を人に晒して同情されるのも、
また相手に気を遣わせるのも母の本意ではなかったのだろうとも思います。
そんなぁ、サファリに暮らす野生生物じゃないんだから……、
なんてこと思っちゃうんですけどね。
最期の日々の送り方、
それはもう、本人が望むように……としか言いようがないんですよね。
「秘密にしてね」と言われればそのようにするし、
仮にそれで母を守ることができたのなら、
それはそれで良かったのだと自身に言い聞かせるより外ないんですよね。
ただ、もし私が余命を宣告されるようなことがあれば、
私は大々的にその事実を周囲に撒き散らすことになると思います。
だって、たくさん心配してほしいし親身にもなってほしい。
我が儘だってたくさん言いたいし、でき得ることは全部やりたい。
……なんて、ウソウソ。
たくさん「ありがとう」を言いたいし、
たくさん「幸せにね」って伝えたい。
……と、そんなことを考えていたら、
やはり母は母なりに、大切な人に自分の思いを伝えたかったに違いない……、
とそんなふうに思ってしまうものですね。
もし私に「シックスセンス」があるのなら、
たくさんの人に贈りたかったであろう母の思い、
代わりに伝えてあげられるのにね。
あ、ワンコって、その手に関しては特殊な能力持ってますよね?
「たもちゃ~ん、
お願いだから代わりにテレパシー送ってくれないかい?」

寝てる……のね
今でも時折、私は思い悩むことがあるのです。
今年3月女優の坂口良子さんが結腸ガンによる肺炎で亡くなったことは、
みなさん記憶に新しいかと思います。
彼女が病と闘いながら壮絶に生きた最期の日々が、
先日テレビ番組で紹介されていたんですよね。
彼女のことを語ったのは、
前年再婚したばかりだったプロゴルファーの尾崎氏と、
彼女の娘でタレントの杏里さんでした。
私がまず驚かされたのは、
余命を告げられていたのが夫の尾崎氏のみであったということです。
更に、娘である杏里さんには、
余命は疎か、病気の重篤さすら告げられてはいなかったということでした。
杏里さんから見れば尾崎氏は継父であり、
亡くなった坂口さんとの関係性から言っても、
自分の方がより絆が強いと感じていておかしくはありません。
母親の命に関わることを娘である自分に知らされることがなかった現実に、
彼女はひどく傷ついているように見えました。
病気のことを杏里さんにひた隠しにしたのは、
娘の将来を思う坂口さんご本人の強い意志を尊重してのことだったのですが、
尾崎氏は杏里さんに対し償い切れない罪を犯したと感じていると話しておられました。
番組の終盤、立場の異なる二人の思いに耳を傾けながら、
私は、実家の母のときのことを思い出していました。
胃の不調を訴え掛かりつけ医を訪ねた頃、
母はまだ自身が大きな病を抱えていることなど
想像すらしていなかったと思います。
その後回復が見られず医師の勧めで訪れた市営病院で、
その病名と余命を母は実に唐突に、
医師の口から告げられたのだそうです。
「余命は、半年ですね」
いとも簡単にそう告げる医師に、
母は思わず食い下がって言ったそうです。
「本当に半年しか生きられないんですか?」
「半年ですねぇ」
「何をどう頑張っても、半年なんですか?」
「何をどう頑張っても、半年ですね」
現場にいたら、その医者ぶん殴ってやったのに……。
……ともかく、
診察室を出た母は病院まで付き添った父に、
包み隠さずその病状を話して聞かせたそうです。
「ガンだって」
その時の父の反応がどんなものだったのか最早知る由もありませんが、
恐らく父は大袈裟に驚くでもなく、
診察室に飛び込んで医師に詰め寄るでもなく、
ただ黙ったまま、母を隣りに乗せ車を走らせ帰ってきたのだと思います。
数日後実家を訪ねた時も、
妻が余命を告げられたという事実をその記憶から消し去ったかのように、
父はいつもと変わらない様子で振る舞い、
母もまた、なんということもない日常を送っているように見えました。
私たちの中では、
誰一人大袈裟に嘆き悲しむ者もいなければ、
泣き叫んでその現実を否定するような者もいませんでした。
不思議なもので、
家族の中で母の余命宣告という現実は、
あくまでも粛々と受け入れられていったような気がするのです。
残された時間を知った母は、
「半年あれば、あの家にあるガラクタとか片づけられるかな」
と、私たちの前で無理に口角を上げてみせました。
「死ぬこと」を受け入れているようには到底見えませんでしたが、
それでも、残された時間で自分が何をすべきなのか、
母は既に考え始めているようにも見えました。
ただ現実には、
母にはもう半年も時間が残されてはいなかったんですよね。
抗がん剤治療が始まり体調にも波が出るようになると、
家のガラクタを片付ける余力など母にはもう残っている筈もなく……。
結局、約束された半年を思いのまま使うこともなく、
母はあまりにも急ぎ足に半年という期限を待たず逝ってしまいました。
今でも思い残すことはたくさんあります。
見せてあげたかった景色や味わわせてあげたかった食事、
してあげたかった事も伝えきれなかった事も山ほどあります。
それでも「残された時間が半年」だと知らされたことで、
肯定できないまでも私たちは、
心の片隅で「その時」を迎える準備を
始めることができていたのではないかと思うのです。
……ですが、
問題は、母の亡骸とともに病院から戻ったすぐ後に起こりました。
母は、夫と娘たち以外、病気のことを口外することがなかったからでした。
懇意にしていた近隣の友人たちにも、
何十年と親しく付き合った義姉妹にも、
ましてや血の繋がった兄弟にすら、
病気のことを母は明かしてはいなかったのです。
今まで、なぜ知らせなかったのか!
皆一様に、そのような思いがあったに違いありません。
突然の電話でその死を知らされ、
それを容易に受け入れることができるとは到底思えないからです。
大方の予想通り、はっきり物申す母の義姉妹には、
話さないままにこの日を迎えてしまったことを責められましたね。
生前親しく付き合いのあった近隣の方々には特に衝撃が大きかったようで、
「つい最近も買い物する姿を見たばかりだったのに」と、
現実を受け止めるのが容易くないことを思わせました。
ただ、やはり一番悔やまれたのは、
母の血の繋がった兄弟にあまり時間がないという現実を
伝えてあげられなかったということです。
ですが、彼らは決して責めることなく、
ただ静かに妹であり姉である母の死を受け入れようとしているようでした。
病気を知った当初母からは、
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話せば他人は気を遣うことになるし、大袈裟にされるのは苦手だし……、
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母が病状を周辺に明らかにすることはありませんでした。
毎週通院に付き添い体調が思わしくない日々が続くのを見ると、
親しかった人には話をした方が良いのではと思うこともありましたが、
結局、私がそう母に進言することはありませんでした。
病気の告白を促すことは「悔いのないように、会えるうちに会っておいて」と促しているようなもので、
それはつまり、「先行きそう長くはないよ」と母に宣告しているようなものだと、
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結局、母がなぜ周囲に明らかにしようとしなかったのかは分からず仕舞いで……。
母は負けず嫌いな人でした。
何が何でも病気に打ち勝ち、
余命宣告した医師を前に高笑いしてやろうと思っていたのかもしれないし、
その武勇伝を後々周囲の人に話して聞かせようと目論んでいたのかもしれません。
母は弱さを見せない人でした。
弱った姿を人に晒して同情されるのも、
また相手に気を遣わせるのも母の本意ではなかったのだろうとも思います。
そんなぁ、サファリに暮らす野生生物じゃないんだから……、
なんてこと思っちゃうんですけどね。
最期の日々の送り方、
それはもう、本人が望むように……としか言いようがないんですよね。
「秘密にしてね」と言われればそのようにするし、
仮にそれで母を守ることができたのなら、
それはそれで良かったのだと自身に言い聞かせるより外ないんですよね。
ただ、もし私が余命を宣告されるようなことがあれば、
私は大々的にその事実を周囲に撒き散らすことになると思います。
だって、たくさん心配してほしいし親身にもなってほしい。
我が儘だってたくさん言いたいし、でき得ることは全部やりたい。
……なんて、ウソウソ。
たくさん「ありがとう」を言いたいし、
たくさん「幸せにね」って伝えたい。
……と、そんなことを考えていたら、
やはり母は母なりに、大切な人に自分の思いを伝えたかったに違いない……、
とそんなふうに思ってしまうものですね。
もし私に「シックスセンス」があるのなら、
たくさんの人に贈りたかったであろう母の思い、
代わりに伝えてあげられるのにね。
あ、ワンコって、その手に関しては特殊な能力持ってますよね?
「たもちゃ~ん、
お願いだから代わりにテレパシー送ってくれないかい?」

寝てる……のね

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