歩くの大好き
万歩計を手に入れ、このところ努めて歩くよう心掛けている私ですが……、
昨日は、な、なんと 20,000歩 を越える距離を、歩いて参りましたよ
参加したのはこちらのイベント 東京まちさんぽ
東京メトロが企画するウォーキングイベントです。
今回は、有楽町線銀座一丁目駅 ~ 半蔵門線半蔵門駅を結ぶ約11キロのコースでした。
写真をチラホラ撮りましたのでご紹介

日本橋 麒麟の像
阿部寛さん出演の映画で取り上げられるまで、
私マジマジと見上げたことがなかったんですよねぇ、恥ずかしながら

人形町の時計台
こちらも度々訪れる通りなのですが、カメラに納めるのは初めて

十思公園
江戸時代、有名な伝馬町の牢屋があったところです。
吉田松陰はこの地で処刑されています。

九段会館
西洋的な外壁に東洋的な瓦屋根を被せた美しい建造物です。
※ 今は入館することができません。


靖国神社
桜や紅葉の頃にしか訪れたことがなかったのですが……。
様々な思いを抱えた方がいらっしゃるのでしょう、
多くの方が訪れていました。
ウォーキングイベントに参加するようになったのは、
ここ五,六年のことでしょうか。
歩くのが大好きな母の為になのか、
歩くのを億劫がる父の為になのかは分かりませんが、
あちこちで開催されるイベントを姉が見付けてくるようになってからのコトです。
出不精な父が参加するのは稀なことでしたが、
その方が寧ろ女三人で盛り上がり、
ゴールした後には清々しい気分で家路に着くことができたのを思い出します。
その母と最後のウォーキングイベントに参加したのがちょうど一年前のこと。
彼女が抗がん剤治療を始めふた月ほど経った頃のことでした。
「肌に合う」という表現が適切なのかどうか分かりませんが、
抗がん剤治療の副作用にあまり悩まされていなかった母は、
日頃の山歩きで鍛えた脚力を見事に発揮し、
娘である私たちとの距離をみるみるうちに引き離すと、
あっという間に人混みに呑まれてしまうのです。
「え、なに? あの人、本当にガン?」
母の後ろ姿を必死に目で追いながら、
姉と二人苦笑いを浮かべたのを昨日のことのように思い出してしまいます。
母はいつもオレンジや黄色などの注意を惹く色を身に付けていました。
小柄ですぐに人混みに埋もれてしまう母を家族が容易く見付けられるように、という配慮です。
せっかちで前を行く人を追い越さずにはいられない母を見失わないように、
やたらと目立つオレンジ色のリュクサックを背負うことを私たちは母に懇願し、
終いには「帽子に旗でも立てておいてよ」と要求する始末。
そんな母がそれからふた月と経たずに逝ってしまうことになろうとは、
家族は勿論母本人も思いも寄らないことだったと思います。
最後から一つ前のウォーキングのその日、
私は彼女の病名と余命のことを母本人の口から知りました。
歩き終えるまでは他言しない、母と姉とでそう示し合わせていたのでしょう。
歩き始めてまもなく、私の手をグッと握り締めながら歩く母と私の後ろを、
神妙な面持ちで追う姉の姿を、
私は今でも時折思い出すことがあります。
あの時、母はいったいどんな思いで私の手を取ったのでしょう。
最後のウォーキングからちょうど一年の昨日、
母との思い出にしんみり浸りながらの街歩きになるかとも思いましたが……。
人とは、逞しい生き物ですね。
姉と私は、実に他愛もない世間話と、
時にバカバカしいまでに天然で豪快な母の思い出話に笑い転げながら、
寒風吹き荒ぶ都内の道を清々しい気分で歩き通したのでした。
遊びに出ると母は決まって大福や饅頭を購入し、
帰り際私の手に握らせようとします。
「はい、○○くん(← 私の夫)にお土産」
「え、別にいいよ~」
「いいから持って行きなさい」
「また太っちゃうじゃん。それに重たいし」
「いいからいいから」
出掛ける度に同じ遣り取りを繰り返したせいか、
今では出歩く度に夫へ甘味を買って帰るように……。
今回もたもつさんのお守りを引き受けてくれた夫には、

誰かさんが、もの凄~い視線で狙っておりますが……
鼻の穴全開です

ケーニヒス クローネ の ロールケーキ
生クリームとカスタードクリームのダブルクリームで、
とっても美味しかったです
これからも、姉と私は時折街歩きに出掛けるでしょう、
思い出に浸りながら、そして新たな思い出を重ねる為に。
昨日は、な、なんと 20,000歩 を越える距離を、歩いて参りましたよ

参加したのはこちらのイベント 東京まちさんぽ
東京メトロが企画するウォーキングイベントです。
今回は、有楽町線銀座一丁目駅 ~ 半蔵門線半蔵門駅を結ぶ約11キロのコースでした。
写真をチラホラ撮りましたのでご紹介


日本橋 麒麟の像
阿部寛さん出演の映画で取り上げられるまで、
私マジマジと見上げたことがなかったんですよねぇ、恥ずかしながら


人形町の時計台
こちらも度々訪れる通りなのですが、カメラに納めるのは初めて


十思公園
江戸時代、有名な伝馬町の牢屋があったところです。
吉田松陰はこの地で処刑されています。

九段会館
西洋的な外壁に東洋的な瓦屋根を被せた美しい建造物です。
※ 今は入館することができません。


靖国神社
桜や紅葉の頃にしか訪れたことがなかったのですが……。
様々な思いを抱えた方がいらっしゃるのでしょう、
多くの方が訪れていました。
ウォーキングイベントに参加するようになったのは、
ここ五,六年のことでしょうか。
歩くのが大好きな母の為になのか、
歩くのを億劫がる父の為になのかは分かりませんが、
あちこちで開催されるイベントを姉が見付けてくるようになってからのコトです。
出不精な父が参加するのは稀なことでしたが、
その方が寧ろ女三人で盛り上がり、
ゴールした後には清々しい気分で家路に着くことができたのを思い出します。
その母と最後のウォーキングイベントに参加したのがちょうど一年前のこと。
彼女が抗がん剤治療を始めふた月ほど経った頃のことでした。
「肌に合う」という表現が適切なのかどうか分かりませんが、
抗がん剤治療の副作用にあまり悩まされていなかった母は、
日頃の山歩きで鍛えた脚力を見事に発揮し、
娘である私たちとの距離をみるみるうちに引き離すと、
あっという間に人混みに呑まれてしまうのです。
「え、なに? あの人、本当にガン?」
母の後ろ姿を必死に目で追いながら、
姉と二人苦笑いを浮かべたのを昨日のことのように思い出してしまいます。
母はいつもオレンジや黄色などの注意を惹く色を身に付けていました。
小柄ですぐに人混みに埋もれてしまう母を家族が容易く見付けられるように、という配慮です。
せっかちで前を行く人を追い越さずにはいられない母を見失わないように、
やたらと目立つオレンジ色のリュクサックを背負うことを私たちは母に懇願し、
終いには「帽子に旗でも立てておいてよ」と要求する始末。
そんな母がそれからふた月と経たずに逝ってしまうことになろうとは、
家族は勿論母本人も思いも寄らないことだったと思います。
最後から一つ前のウォーキングのその日、
私は彼女の病名と余命のことを母本人の口から知りました。
歩き終えるまでは他言しない、母と姉とでそう示し合わせていたのでしょう。
歩き始めてまもなく、私の手をグッと握り締めながら歩く母と私の後ろを、
神妙な面持ちで追う姉の姿を、
私は今でも時折思い出すことがあります。
あの時、母はいったいどんな思いで私の手を取ったのでしょう。
最後のウォーキングからちょうど一年の昨日、
母との思い出にしんみり浸りながらの街歩きになるかとも思いましたが……。
人とは、逞しい生き物ですね。
姉と私は、実に他愛もない世間話と、
時にバカバカしいまでに天然で豪快な母の思い出話に笑い転げながら、
寒風吹き荒ぶ都内の道を清々しい気分で歩き通したのでした。
遊びに出ると母は決まって大福や饅頭を購入し、
帰り際私の手に握らせようとします。
「はい、○○くん(← 私の夫)にお土産」
「え、別にいいよ~」
「いいから持って行きなさい」
「また太っちゃうじゃん。それに重たいし」
「いいからいいから」
出掛ける度に同じ遣り取りを繰り返したせいか、
今では出歩く度に夫へ甘味を買って帰るように……。
今回もたもつさんのお守りを引き受けてくれた夫には、

誰かさんが、もの凄~い視線で狙っておりますが……

鼻の穴全開です


ケーニヒス クローネ の ロールケーキ
生クリームとカスタードクリームのダブルクリームで、
とっても美味しかったです

これからも、姉と私は時折街歩きに出掛けるでしょう、
思い出に浸りながら、そして新たな思い出を重ねる為に。
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