やり残したことは
「断捨離」
この言葉が巷で流行ったのは昨年あたりのことでしょうか。
断捨離とは……、
ヨガの「断行」、「捨行」、「離行」という考え方を応用し、
人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
不要・不適・不快なモノとの関係を文字通り、断ち・捨て・離れ、
停滞を取り除き、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促すこと。
この言葉がふと頭に過ったのは、
実家の片付けを手伝いに行き、
その物のあまりの多さに改めて驚かされたからでした。
「それ、捨てちゃうの? 勿体ないじゃない」
流行りの過ぎた服を躊躇いもなく処分しようとする私を見て、
母はいつもそう嘆きました。
「まだ着られるじゃない、全然傷んでないでしょ」
「もう着ないよ~」
「勿体ないから、取っておくよ」
「取っておいても仕方ないじゃん」
身長162cmの私の服が、150cmにも満たない母の身体に合う筈もなく、
私が着古した流行りの廃った服はクローゼットに残されたままで……。
「だから『捨てちゃえば?』って、あれほど言ったのに」
母の死後、家の中の片付けはおろか、母の身の回りの物の処分すら、
一向に片付かずにいます。
母の物に執着しているというより、
ただその物の多さに圧倒され、家族もどこから手を付ければいいのか分からない様子なのです。
そう言えばあの日、母は半ば諦め気味に呟いていました。
「半年あれば、あのガラクタも少しは片付けられるかな」
半年とは、医師から告げられた母の余命のことでした。
「半年あれば、まあやらなくちゃならないこと、できるかな」
母の思う「やらなくちゃならないこと」って……なんだったのだろう。
週に一度の通院と処方薬以外、母はそれまでと変わらぬ日常を送っているように見えました。
勿論、病気から来る不安や苦痛がない筈はありません。
それでも、単なる通院のつもりで訪れた病院にそのまま入院し、
二日と経たぬうちに逝ってしまうことになろうとは、
家族は勿論、本人にも予期せぬできごとだったに違いありません。
さすがに、「遺言のこしてね」なんて、あの時の母には言える筈もなく……。
結局、母の言う「ガラクタ」とやらは片付かず、
「やらなくちゃならないこと」をどこまで済ませることができたのかも、
家族には最早知る術もありません。
「これ、取っておいてほしいと思ってるかな~?」
「『そんなの捨てちゃいなさい』って言ってるよ、たぶん」
そんな会話を繰り返しながら、母の後片付けは暫く続くことになりそうです。
「断捨離」という言葉は、単に物の片付けだけにとどまらず、
大袈裟に言えば、自分の人生を見直すこと、ではないかと思っています。
そう言えば、私も子供の頃「遺書」を認めたことがありました。
決して、何かを深く思い悩んでいた訳ではありません。
小学生の頃私はひどく身体が弱く、
一学期に一度、決まって高熱を出すと学校を休んでいました。
水銀体温計の表示いっぱいまで熱を上げる私を横目に、
母は「これ以上熱が上がると……バカになっちゃうかも」などと呟いたものです。
氷枕を手に部屋を出て行く母の後ろ姿を見送ると、
私はこっそり布団から抜け出し紙と鉛筆を手にしました。
遺書を認める為、でした。
小学生の私が遺した「遺書」に決まって認められた「お願い事」は、
「パンダ子さん(← パンダのぬいぐるみ)を一緒にお棺に入れてください」
……というものでした
今年もあと三週間あまり、
この一年を振り返り色々なことを整理整頓して新しい年を迎えたいものです。


おいらからの「お願い事」……、
留守番頑張った日は、もっとたくさんナデナデしてください
あっ、あの……「お願い事」の話題ではないのですが
まあ、いつもよりたくさんたくさんナデナデしてあげますよ
この言葉が巷で流行ったのは昨年あたりのことでしょうか。
断捨離とは……、
ヨガの「断行」、「捨行」、「離行」という考え方を応用し、
人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
不要・不適・不快なモノとの関係を文字通り、断ち・捨て・離れ、
停滞を取り除き、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促すこと。
この言葉がふと頭に過ったのは、
実家の片付けを手伝いに行き、
その物のあまりの多さに改めて驚かされたからでした。
「それ、捨てちゃうの? 勿体ないじゃない」
流行りの過ぎた服を躊躇いもなく処分しようとする私を見て、
母はいつもそう嘆きました。
「まだ着られるじゃない、全然傷んでないでしょ」
「もう着ないよ~」
「勿体ないから、取っておくよ」
「取っておいても仕方ないじゃん」
身長162cmの私の服が、150cmにも満たない母の身体に合う筈もなく、
私が着古した流行りの廃った服はクローゼットに残されたままで……。
「だから『捨てちゃえば?』って、あれほど言ったのに」
母の死後、家の中の片付けはおろか、母の身の回りの物の処分すら、
一向に片付かずにいます。
母の物に執着しているというより、
ただその物の多さに圧倒され、家族もどこから手を付ければいいのか分からない様子なのです。
そう言えばあの日、母は半ば諦め気味に呟いていました。
「半年あれば、あのガラクタも少しは片付けられるかな」
半年とは、医師から告げられた母の余命のことでした。
「半年あれば、まあやらなくちゃならないこと、できるかな」
母の思う「やらなくちゃならないこと」って……なんだったのだろう。
週に一度の通院と処方薬以外、母はそれまでと変わらぬ日常を送っているように見えました。
勿論、病気から来る不安や苦痛がない筈はありません。
それでも、単なる通院のつもりで訪れた病院にそのまま入院し、
二日と経たぬうちに逝ってしまうことになろうとは、
家族は勿論、本人にも予期せぬできごとだったに違いありません。
さすがに、「遺言のこしてね」なんて、あの時の母には言える筈もなく……。
結局、母の言う「ガラクタ」とやらは片付かず、
「やらなくちゃならないこと」をどこまで済ませることができたのかも、
家族には最早知る術もありません。
「これ、取っておいてほしいと思ってるかな~?」
「『そんなの捨てちゃいなさい』って言ってるよ、たぶん」
そんな会話を繰り返しながら、母の後片付けは暫く続くことになりそうです。
「断捨離」という言葉は、単に物の片付けだけにとどまらず、
大袈裟に言えば、自分の人生を見直すこと、ではないかと思っています。
そう言えば、私も子供の頃「遺書」を認めたことがありました。
決して、何かを深く思い悩んでいた訳ではありません。
小学生の頃私はひどく身体が弱く、
一学期に一度、決まって高熱を出すと学校を休んでいました。
水銀体温計の表示いっぱいまで熱を上げる私を横目に、
母は「これ以上熱が上がると……バカになっちゃうかも」などと呟いたものです。
氷枕を手に部屋を出て行く母の後ろ姿を見送ると、
私はこっそり布団から抜け出し紙と鉛筆を手にしました。
遺書を認める為、でした。
小学生の私が遺した「遺書」に決まって認められた「お願い事」は、
「パンダ子さん(← パンダのぬいぐるみ)を一緒にお棺に入れてください」
……というものでした

今年もあと三週間あまり、
この一年を振り返り色々なことを整理整頓して新しい年を迎えたいものです。


おいらからの「お願い事」……、
留守番頑張った日は、もっとたくさんナデナデしてください

あっ、あの……「お願い事」の話題ではないのですが

まあ、いつもよりたくさんたくさんナデナデしてあげますよ

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