高橋たもつ、柴犬です

「お名前は?」
「は、はい?」
「ワンちゃん、お名前は?」
あ、犬の名前……ですよねぇ?
そりゃ、河原で行きあった初対面の人間に、こうも唐突に名前を訊ねる方などいる筈ありません。
「あ、はい。『たもつ』と言います」
「た、たもつ? たもつ君?」
彼の名を耳にし、まず大半の方は驚きの表情を浮かべてみせます。
そして、それが聞き違いでないと知った時、彼らの反応は実に様々です。
遠慮気味に笑いを噛み殺す人、戸惑いを隠すように大袈裟に反応してみせる人、そして「うちの伯父さんと同じ名前……」と思わず噴き出してしまう人。
「人?……みたいな名前ですよね」
「あ、あはは。そうですね」
興味津々の相手に対し、私は苦笑いを浮かべるより他ありません。
「でも。どうして、たもつ?」
「さ、さあ。あ、主人が名付けたものですから」
目を輝かせ名前の由来を期待してみせる相手に対し、私は只々恐縮するばかり……。
実際、これといってご披露する大そうな由来もない訳で。
「でも。どうして『たもつ』?」
それは正しく、初めてその名を提示された私が、夫に投げ掛けた質問だったのです。
「どうして『た・も・つ』なの?」
少しばかり責めるような口調になっていたのは、私が落胆を隠し切れなかったからかもしれません。
たもつ君……それは小学生の時同じクラスにいた、大人しく目立たない、私たち女子の興味を惹かない、教室の片隅でいつも昆虫図鑑を広げていた男子児童を私に思い出させました。
余程浮かない表情を露わにしていたのでしょう。
少々躊躇いをみせた後、思いも寄らない台詞を夫は口にしました。
「『たもつ』という名に、昔から憧れていた」
「え?」
かく言う本人の名は、漢字で二文字、ひらがなで四文字。
突拍子もなく珍しい名という訳でもありませんが、それはワードで一発変換されない少々手間の掛かる名でもあります。
考えてみれば、夫の父親の名も弟の名も、そしてカテゴリー違いではありますが母親の名も、ひらがなで表せばみな三文字。
「俺だけ、なんか雰囲気が違う」
「○о○(弟の名前)みたいな名前、シンプルでいいなぁ」
時折そう零していた夫の心情を思うと、私は最早反論する気にもなれず……。
あぁ、そう言えば「子供ができたら『たもつ』という名前にする!」と熱く語っていたこともあったような、なかったような……。
まあ、関係者に遺恨を遺さないよう、敢えて説明を加えさせて頂きますと……。
夫の名は彼の祖父曰く「先祖の由緒正しき名」ということらしいです。
ただ「たもつ」という実にシンプルな響きのその名は、夫にとり憧憬に値する名のようでして……。
「高橋たもつ」
まあ、語呂もまずまず、慣れてしまえばもう「たもつ」は「たもつ」でしかない訳で。
「たもちゃん」「たぁ」「たも」「たもちん」
今では、私たちの気紛れなアレンジにもきちんと反応してくださる「たもつ」さん。
ちなみに「たもちゃん」と呼んだ時の表情がこんな感じです。

ウソです、ウソです。

こんな邪気ない頃は、三年前。

今は、こんな気怠そうな表情を浮かべるようになりました。
大人になったねぇ。
今となっては「Kevin」だの「Chris」だのと真剣に悩んでいたことなど、夫の前は勿論本人の前でも封印している私です。
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