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電気さまさま

   先日関東地方に上陸した台風15号ですが、

 首都圏近郊に大きな爪痕を残すこととなりました。

     



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     マンション前の街路樹、

   根っこが浮き上がり車道へと倒れた形跡が。

  道路の向こう側へと目を遣ると、そちらにも同様の倒木跡。






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      河原への入り口には切断された街路樹。





   私たちは午前9時台に散歩へ出たのですが、

あちこちで倒木の片付け作業に追われる方々の姿を目にしました。





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   近所のマンションの植木、電線に引っ掛かったのかな、

       パトカーまで出動していました。




  9日未明、たもつエリアにもかなりの強風が吹き荒れました。

   風向きのせいか窓ガラスを叩く音は

     あまり大きくは感じなかったのですが、

  やはり夜中に何度となく目が覚めてしまいましたね。

   たもつは怯えることはなかったけれど、

      なぜか調子よく私の腕枕を利用。

   場所は変えるものの、

結局ひと晩中私の身体のどこかしらに貼り付いて眠っておりました。

     もしかして、ちょっぴり怖かったのかな?(笑)


   幸い我が家に実害はなく、

台風も無事通り過ぎてくれた~と安堵していたのですが……。

 「(千葉の)ご実家大丈夫? 停電してるみたいだけど……」

   そんな連絡をくれたのは埼玉に暮らす義母でした。

 義父と二人、

停電エリアと実家の住所とを照らし合わせてくれたのだそうで、

   義母から連絡をもらわなければ、

 私は実家が停電で困っていることを、

   知らぬまま過ごすところだったのです。

    午前中姉に連絡を取ってはいたのですが、

 それほど長引くとは思わなかったのか、

   心配を掛けまいとしてくれたのか、

     姉もそのことには触れないでいたんですよね。

  義母から聞かされた時も、

     「停電かぁ、大変だなぁ」

 私自身、その時はその程度の認識でしかありませんでした。


  しかし、予想に反し停電は長引き……。

 幸い水道とガスは問題がなかったので

     食べるには困らない様子だったのですが、

台風が行き過ぎた後の猛暑を凌ぐことができるのかが心配になり。

 「車で物資を届けよう」夫はそう言ってくれたのだけど、

   とにかく千葉県内どこもかしこも大渋滞の様子。

千葉市内の実家に辿り着くのも翌日になってしまうのでは?、

    そのうち停電も解消されるかもしれないし。

 私はまだ、実家を訪ねることを躊躇っていました。

   ……が、しかし、結局9日のうちの復旧はなく、

  翌10日も大変蒸し暑い日を迎えていました。

   水にも食べ物にも困っていない様子だけど、

      暑さ対策はどうしているんだろう?

 我が家から保冷剤を大量に運んだところで、

  移動中に温まってフニャフニャになっちゃうだろうし、

とにかく電気がないんだから、「冷やす」ことができないよね。

   実家の様子を伺いたいんだけど、

スマホのバッテリー残量も気になるし、固定電話は繋がらないしで、

    もう何をどうすれば良いのかが分からない。

  
 東京電力の停電情報の画面とにらめっこしながら、

   Twitterで現地の生の声を拾い情報収集。

「千葉市○○区(実家のある区)、復旧しました」と見た直後に、

  「ちょっと点いて、すぐに消えました」との呟きがあったりで、

     もうパソコンの前から離れることができません。

 2日目の真っ暗な夜を迎えようとしているのに、

       停電エリアが減る様子もなく、

  「できることは何1つないけど、

 今日のうちに訪ねておいた方が良かったのかな」

    そんなことを思いながら独りモヤモヤ。

  そんな停電2日目の晩、

夫が会社帰りに様々なお役立ちグッズを買い揃えてきてくれました。


    

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     懐中電灯。

  小さく軽いのですが、とても明るいです。

    水を入れたペットボトルを置けば、

   広範囲を照らすことができます。






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     モバイルバッテリー。

  我が家でしっかり充電して行けば、

    スマホ他色々使えるんじゃないかということで。

 テレビがつかないので、

   情報収集はスマホやパソコンになりますからね。




  それから、なんと言ってもこれが便利!と思ったのが、



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      充電式扇風機。

   コードレス連続使用約5時間。

  この扇風機も我が家でしっかり充電し、

 更に↑のモバイルバッテリーも使用すれば、

   かなりの時間暑さを凌ぐことができそうです。

  小型で軽いのですが、かなり強力な風が出ます。



 電気が通ってなきゃどうしようもできないじゃん……、

    そんな諦めの境地に立っていた私に反し、

  仕事帰りにあれやこれや本当に必要そうなものを

        入手してきてくれた夫。

 復旧がなければ、これらを抱え明日にも実家を訪ねよう。


  2日目の晩も、停電情報の画面とにらめっこ、

 夜中の2時過ぎまで情報収集していましたが、

     先が見えないのでここでダウン。

  翌11日(本日)早朝、

 「昨夜のうちに復旧してました」と姉から連絡が。   

   何時の復旧だったのかは分かりませんが、

     恐らく睡眠中の復旧だったのかなと思います。

  電気がないって、想像以上に不便ですね。

 今回たまたま残暑の厳しい数日に当たってしまったこともあり、

電気がないと命が危険に晒されこともあるのだと実感することに。      

  実際、停電中に熱中症で亡くなられた方もいらっしゃいます。


    今回はTwitterでの情報収集が役立ちましたが、

「○○病院はロビーを開放している」(病院は自家発電)とか、

  「○○エリアは復旧した」とかいう声の中、

 「千葉の大規模停電(断水も)を報じるメディアが少ない」

    そんな声が目立っていたのがとても印象的でした。

  確かにテレビを点けていても、

 ニュース速報で流れてくるのは「○○氏入閣!」の話題ばかり。

   え? それって今必要? そんなに緊急の情報?

    そんなことより千葉の情報を流してよ!

  幸い実家のあるエリアは電気が復旧しましたが、

     今(11日16時)現在でも

 千葉県内で40万軒以上が復旧を待っているような状況です。

    断水しているエリアもあります。

   家屋が損傷したエリアもあります。


 台風がこれほどまでに大きな影響を残すとは……。

   地震への備えをされる方は多いかと思いますが、
  
  停電時の備えもしっかり考えておくべき!、

   今回はそんなことを身に染みて感じましたね。




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        はい! しっかり備えました!





   千葉県他被災された地域の方々が、

  1日も早く元の生活に戻ることができますように。





 
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簡単に切れちゃう

     ※ 予約投稿です


 「加害者にさせない為に」 「出禁、解禁、そして出禁

       そして、その続きです。


    実家の父が

  「お前とは親子の縁を切る! 

        と宣言をしてきました。

     8月最後の日のことです。

      そんなに簡単に切れちゃうんかいっ 

         とは思いましたが、

  それが、父がようやく導き出した解決策なのだ、

           そう感じましたね。


    車を廃車にしてから、

  父の中では多くの葛藤があったのだと推測します。

    当初はただ純粋な気持ちから、

  時が経つにつれ妄想の海の中を手探りするように、

 父はその答えを見つけ出そうと藻掻き続けていたのです。

     執拗な電話は私を辟易させました。

 鳴り続ける電話の呼び出し音に耳を塞ぎ

            家を後にした日もあります。

    私は父を捨てようとしている、 

         そう思いましたね。
    
      なぜ廃車にしたのか、

 父はただ、その理由を知りたかっただけなのです。

    「まだ使える車をどうして?」

「まだ動くのに、車が一銭にもならなかったなんておかしい」

   「売れてないなんて嘘だろ」

「売るのでなきゃ、どうして手放す必要があったんだ?」

  「売った金はどうしたんだ?」

 「売った金を〇〇(←私のこと)が独り占めしたんだろ!」 

    ここまで書いて今更ですが、

父は、全くと言っていいほど金品に執着の無い人間です。

   否、寧ろ呆れるほどのお人好しで、

 自分以外の人間に財布を開けさせることを嫌い、

    まあ見栄っ張りと言われればそれまでですが、

  大盤振る舞いして自らを大きく見せたがる……、

        そんな人間でした。
   
 「金なんてあの世に持って行ける訳じゃないから」が口癖で、

    実家を訪ねれば「交通費」と称して小遣いを出したがり、

   受け取りを拒めば臍を曲げると言った具合で、

         そんな父が

あのオンボロ車にそれほどまでの執着心を見せることなど、

     予想だにしないことだったのです。          


 父には絶対的な信頼を置ける味方が必要でした。

   寂しがりなのに強情っぱり、

      口出しされるのは嫌いなくせに

    放っておかれれば尚更拗ねてしまう……。

       どんだけ手が掛かるんだっ! 

まあ、男性の多くはこんな感じなのかもしれませんね 

  姉に、そんな父の、絶対的な味方になって貰うことを決めました。

    まあ、父のお世話を全面的に姉に押し付けた

            ……とも言えます 

      これまで父が当て推量していた通り、

 「廃車にするような勝手なことをしたのは○○(←私のこと)だ!」

    ……ということを徹底してもらうことを決めたのです。

     父のフィルターを通せば、

  姉は寡黙で従順更にはあまり行動的ではなく、

 私はと言えば鬱陶しいほどお喋りで、

       親の予想に反した行動を取りがち、

  おまけにその行動も後先考えないものばかり……。

      父からすれば、つまり私は、

  理解し難い行動を取る人間だということができます。

     なぜ車を手放さざるを得なかったのか、

   それを理解することができない父には、

      ある程度は合点のいく構図になる訳です。


   「もう家に入れるな!」

「勝手に車売って、自分の金にしちゃったんだろ!」

    「俺から車取り上げて、どういうつもりだ!」

   妹を悪し様に言う父親の姿に、

     姉はさぞかし胸を痛めたことでしょう。

 「早めにちゃんと説明しないと、事態が悪くなる一方かも」

そう連絡を寄越しては姉もまた気を揉んでいたようですが、

  それでも私は「廃車は私が独りで勝手にやったこと」

    それを曲げないようにと念押ししましたね。

  「廃車のこと、お前(←姉のこと)も知ってたのか?」

     父がそう訝しむ日もあったようですが、

    姉には口を噤むようにと言いました。

       娘二人を敵に回すような事態になれば、

   父はいったい誰を信じて生きていけばいいのでしょう。


  父は恐らく、とても哀しい思いをしていたのだと思います。

居間の擦りガラス越しに見えるオンボロ車の後ろ姿、

  その見慣れた景色をもう見ることができない、

        そういった思いもあるでしょう。

   ですが、父の気持ちを最もかき乱していたのは、

 我が子が親から車を取り上げる

  そんな愚行に及ぶような成長を遂げていたということ、

   問うても問うてもその理由は明かされず仕舞いで、

    日々頭を悩ませても自らを納得させる結論は

          得られぬままだということ。

    父は、とても疲れてしまったのだと思います。


  「お前とは親子の縁を切るから。

       お前とはもう親でも子でもないから」

   
     「マジで!? ラッキー♪」

        ……なんて言いませんよ。

  神妙な面持ちで(あっちには見えないけど)

 心痛に震える声で(寝起き早々だったし)

    「はい、分かりました」とだけ私は応えました。

   受話器を置くと、「誰から?」と夫の声が。

 「おとーさんだよ。『親子の縁を切る』ってさ~」

     「はぁ!?」

  経緯を知る夫は哀しい目で私を見ましたが、

      私はなぜか不思議なほどに、

    言い方は悪いですが笑っちゃうほどに、

      すっきりした気分を味わっていましたね。

     清々しいとも違う、さっぱりとも違う、

   なぜだか、すっきりした気分だったのです。

  私は冷たい人間なんだな、そう思いましたね。

    姉もまたひどく心を痛めていたようですが、

  私はなぜか悟りを開いた修行僧の如く冷静で

  (滝に打たれた訳でもなんでもないけど 

    これで、父の中でも解決策を見た、

  とは言え所詮妥協案に過ぎないのかもしれませんが、

       一件が落着したのだ、

そう安堵することを許されたような気がしていたからかもしれません。


   その日を境に父からの電話はパタリと途絶えました。

 存外父は、私が思うほど呆けていないのかもしれません……。






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            幼馴染のピーちゃん。




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       最近ちょっぴり大きく(太く)なって、

    河原まで歩いてくるのがシンドイんだって    




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    昔はとってもスリムだったのにな~。



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      昔はよく繋がれちゃってたね 

    こんなふうに、また一緒に河原で遊びたいなぁ 





出禁、解禁、そして出禁

   先日記載した「加害者にさせない為に」の続きです。


   5月半ば、実家の車を廃車にしました。

 父がふと漏らした「廃車にするかぁ」

      そのひと言が切っ掛けでした。

  そのひと言を引き出す為に画策したのは、この私です。

   
   廃車の翌週いつもと変わらず実家を訪ねると、

    父もまた、いつもと変わらず居間に横たわり

いつもと変わらぬ時代劇にぼんやりと目を遣っていました。

   暫くすると父は、不意にこう呟きました。 

    「車、あれ、いくら掛かったんだ?」

  廃車に掛かった費用のことを尋ねているのです。

「お金は掛からなかったよ。

      サービスで、してくれたんじゃない?」

  実際のところサービスで手続きが済んだ訳ではありません。

    父に「良い記憶」を植え付けたいという私自身の思惑が、

        そう言わせていたのです。

    「ふーん」

  然程興味がある訳でもなかったのか、

       父は軽く鼻を鳴らすと

   その日はもう車について触れることはありませんでした。



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    掻いてる時ってさ、変顔になっちゃうんだよ 




    更に翌週実家を訪れると、

     父は再び私に訊ねました。

    「車、あれ、いくら掛かったんだ?」

「お金は取られてないよ。サービスでしてくれたから」

    「じゃあ、いくらか(謝礼を)持たせれば良かったなぁ」

       父は、非常に義理堅い人間です。

 好意で手続きを済ませてくれたという担当者に義理を通すことに、

     この時の父は感情を支配されていました。

「まぁ、いいんじゃない? ずっとあそこで(車を)買ってたんだし」

    「ふーん」

     更に翌週、

  父は新たな質問を準備し私を待ち構えていました。

    「車、あれ、いくらで売れたんだ?」

「え? ……売ってないよ」

   そもそも、売れるような代物ではありません。

  中古車買取店へ持ち込んだところで、

 手数料を取られるのが関の山という程度のものでした。

     更に翌週実家を訪ねると……。

    「車、あれ、販売店の奴が売っちゃったんだろ?」

「え? 車は、売ってないよ」

    「うちから持って行った車、売り飛ばしちゃったんだよ!

      それで販売店の奴が儲けてるに違いないんだ!」

     父は、独り苛立っていました。

   完全なる妄想に支配されてしまっていたのです。

「そんな訳、ないけどね」

  父の耳に届かぬよう、私は小さく抵抗してみせました。

     暴走にも似た妄想に呆れ返ると同時に、

 そんなことを平気で口走る父のことが嘆かわしく、

   私は侮蔑にも似た感情を持て余していたのです。

  「認知症だから運転を止めさせなきゃ」

     口ではそう言いながら私はまだ、

 父に“まとも”であることを強く望んでいたのかもしれません。




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   「帰ってシャンプーだよ~」と言うと……、

                 動かない 

                           


  父は車に対し拘りのない人間だったように思います。

   カタログを捲っただけで車を決めてしまっていたし、

  我が家の車庫に入るのはいつも似たり寄ったりの車で、

買い替えたことに私たちが気付かないことすら多々ありましたから。

   そんな父が唐突に車への執着を見せ始めたのですから、

     こちらの計算も狂うというもの。

   「まだ廃車になってないだろ? 買い戻すよ」

 「もっと小さいのでいいんだよな。軽(自動車)でも買うか」

    「中古でいいんだよ。新しいの買わなくちゃ」

   そう先を急ぐ父の発言は、

      姉を大いに戸惑わせましたね。

    そんな父が車への更なる執着心を露わにし、

 頻繁に電話を掛けて寄越すようになったのは、

  廃車手続きから数週間が過ぎた頃のことです。

     「廃車に費用は掛かったのか?」

   「車を買い戻すんだから、販売店に連絡しろ!」

  「(廃車を証明する)書類はいつになったら届くんだ?」

    それでもこの頃は、

 同じ質問を寄越し同じ答えを返し……ということこそあれ、

    手続き自体には理解を示していたようにも思います。

   それが……、

車庫から車が消えひと月が過ぎふた月が過ぎようとする頃には、

    「お前、なんで廃車にしちゃったんだ!」

  「勝手なことして。なんで、俺から車取っちゃったんだ!」

   「車、売り飛ばしちゃったんだろ? 売った金はどうした?」

 「お前さぁ、なんで廃車にしちゃったの?」

       ……というふうに変化を遂げることとなり。

   父はそれこそ執拗に電話を掛けて寄越しましたが、

      なぜ廃車にしたのか、

    その理由を私が告げることはありませんでした。

 「呆けてきちゃってるから」「事故を起こしかねないから」

     決して口走ってはいけない台詞でした。

   父の妄言に反論するのは容易いことでしたが、

  私は一切を呑み込み只管口を噤み続けたのです。

   「廃車にするかぁ」と口にしたことも、

  自ら販売店へ電話を掛けたことも、

   父の中からは既に消えてなくなった記憶です。

  私は体調を崩し、実家からは足が遠退き、

    コソコソと姉に連絡を取っては、

      父の様子を窺いました。




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       シャ、シャンプーするって、かーちゃん…… 




   ちょうどその頃のことでしたね、

 親戚をも巻き込むような電話を父が掛けて寄越したのは。

    「昔からの友達が亡くなったんだよ。

  車が無いから葬式にも行けないじゃないかっ!」

   父の話によると「たった今、姉から電話があった。

     昔世話になった○○が亡くなったと聞いた。

    車が無いから、線香をあげに行くこともできない」 

              ということでした。

   姉というのは、95歳になる父の姉のことです。

     すぐさま彼女に近しい親戚に連絡を取りました。

    曰く「95歳の姉は電話などしていないし、

   父のいう友人が亡くなったのはもう随分昔のことだ」

          という話なのです。

この95歳の伯母、非常に矍鑠として未だ独り暮らしを続けており、

       どちらの話を信じるかと問われれば、

   父の心配をせざるを得ないというのが正直なところです。

     「もー、呆けちゃったんじゃないのぉ?」

    95歳の伯母にも彼女に近しい叔母にも、

   父の状態を不安視される結果となってしまいました。

    夢でも見ていたのか認知症のなせる業なのか、

 父がなぜそのようなことを口走ったのかは分からず仕舞いです。

     それより何より私が気に掛かったのは、

   そんな妄想を盾に私のことを責め立てる父の声が、

 悲しみに打ち震えているように聞こえていたということでした。

    「お前はいつもそうだ。お節介して、余計なことして。

        車が無くて、これからどうするんだ!」

      そう声を荒げる父の声は、

    話半ばから涙声に変っていたように感じます。

      父の怒りは、悲しみの裏返しでした。

 それでは、その悲しみはいったいどこにあるのでしょう。

    車という財産を取り上げられたことにでしょうか、

  車と一緒に家族の思い出までも廃棄されてしまった

      そう感じているからなのでしょうか。



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      学生時代、友人との軽井沢旅行で買ってきたお土産。

        車を何台乗り換えても、

    フロントガラスではいつもこのキツネが揺れていて。


     
   その後父は私に実家への「出入り禁止」を言い渡し、

数日経つと「○○(←私のこと)はいつ来るんだろうなぁ」と口にし、

その後再び「『二度と来るな』と言っておけ」と姉に告げたかと思うと、

  数日後には「家族なのだから出入り自由に」との書き置きを

      姉の目の付くところに残すといったように、

   日中独りきりで過ごす部屋で、

         葛藤を続けていたように思います。

    実家への「出入り禁止」

  父の思いとは恐らく相反することとなるのでしょうが、

 不思議なことに私が苦痛を覚えることはありませんでした。

     「なぜ廃車にせざるを得なかったのか」

その理由について頑なに口を閉ざさねばならない状況から解放された、

       そう感じていたからかもしれません。

    ただ気掛かりなのは、父と同居する姉のことだけ。

 彼女の助けとなれない状況を招いてしまった自身の性急さに、

      私は胸を痛めていました。

   
   「廃車」が何よりも優先されるべきものだと信じ、

  「廃車」が父や家族を守る術だと信じて疑わない私は、

     あの時の父の、

   小さな抵抗に気付くことができなかったのです。

     「廃車にするかぁ」

  消え入るような声でそう呟いた時の父は、

    遠く壁に目を遣ったまま、

 私の顔を見据えようとしてはいませんでした。

   翌週再び「廃車」を口にせざるを得なくなった時もまた、

     父が私の目を見ることはなかったように思うのです。

    自身の思いを優先するあまり、   

 それが、父が心底望むことなのか見極める時間と労力を、

      私はただ惜しんだに過ぎないのです。    

 
    それからは「出禁」が「解禁」となり、

  その後更なる「出禁」が発令されることになると、

    私の足が実家へ向かうこともなくなりました。

       そして7月が過ぎ8月が過ぎ、

父との関係も今ではすっかり様変わりしてしまいました。

   あぁ、長くなってきたので、また書きます。




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  「出禁」とかさ、かーちゃん、何やらかしたのぉ?    


           たもちゃ~ん、笑うとこじゃないぞーっ 






加害者にさせない為に

     ※ 予約投稿です。

       長いの苦手な方はスルーしてください。



    今年5月、実家の車を廃車にしました。

  車を手放すこと、父の免許証を返納すること、

母の存命中より何度となく議題に上がっていた案件でした。

    勿論、その討論の中に父は居ません。

   本人の自尊心を傷付けない為、

      話し合いは密かに行われました。

    その後母が逝き、

 車の維持についてそして免許証更新について、

姉も私も話し合いを持つ為の勇気を奮い起こすことができぬまま、

     父は齢80を迎えていました。



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                  いつもの散歩道




   5月、大型連休に実家を訪ねた時のことです。

  数日前より父が車検のことで気を揉んでいることは、

     姉から聞いて知っていました。

  その日も、「えっと……。車検があるから……っと」

    そう言って何度となく地図を広げては、

    父は車を届ける先への道順をなぞっています。

   不安を覚えているのは一目瞭然でした。

車検を依頼する店までは飛ばさなくても20分ほど、

      道順も決して複雑ではなく、

  常日頃ハンドルを握る人間にとっては

     緊張を齎すほどのものではない筈です。

    高齢の父はもう長いこと、

 独りきりでハンドルを握ってはいませんでした。

    助手席には必ず母がいて、

 母が逝った後には姉がいて、

   父のナビゲーターを務め続けていたからです。

それでも父は、自らの運転に自信を漲らせていましたね。

 運転そのものを生業にしていた訳ではありませんが、
  
     免許を取得してから60年余り、

   家族を養う為に週6日、

    父はハンドルを握り続けていましたから。

 高齢になっても変らず免許証を交付され続けたことが、

   過剰な自信に繋がったことも否定はできません。



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                たもちゃん。あそこに何かいるよ。



  それでも母が逝き、病院への送り迎えも役目を終え、

 父がハンドルを握る機会は益々減っていきました。

自動的に届けられる「運転免許証更新」を促すハガキを手に、

「(免許)返納してもいいんだよなぁ」と呟くようになっていた父。

 そして、そんな父の元に届いた「車検」を急かすハガキの山。

       父は、そわそわしていました。

  壁に吊るした暦には、赤ペンで二重丸をした車検切れの印。

    その印を目にしては、地図を広げ道順をなぞる父。




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                 ん? 何だ、あれ?




  「車検? 車は……、もういいんじゃない?」

 車検の有効期限まで半月ほどを残したその日、

私は至ってさり気なく、父に、車を降りることを提案しました。

       「もういいって?」

   父は、すぐには飲み込めないでいるようでした。

  「車もさ、もう、ほとんど乗ってないでしょ?」

実際、年が明けてから父がハンドルを握ったのは1度切り。

  「脚の調子もあんまり良くなさそうだしさ。

      無理に運転することも、ないんじゃない?」

   脚に痺れを抱えている父は、

思うに儘ならないその感覚に癇癪を起こすことも少なくない有り様で、

  ハンドルを握ることがどれほどの危険を伴うものか

           想像に難くなかったのです。

   「重たいものの買い物ならさ、私がいつでも行けるじゃん」




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          おーい! お前、何してんのぉ~?



  父は黙ったまま壁を見つめ、それからひと言

      「廃車にするかぁ」

          そう、呟きました。

     それは思ってもみない、

   頑固者の父が漏らしたひと言でした。

思わず口元を綻ばせてしまいそうになるのを感じながら、

  私はただ「うん。それも、いいかもね~」と答えました。

       有頂天になる私の姿を見れば、

     父が前言を翻すのは明らかだったからです。

 すぐさま、私は姉のところへ事の次第を伝えに行きました。

    「『廃車にするかぁ』って言ったよ!」

       「へぇ!?」

   姉は素っ頓狂な声を上げ、

 信じられないといった表情をしていました。

    それでも私は、

 父が廃車を決めたことに浮かれきっていたのです。




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          ねぇねぇ。お前、そこで何やってんのぉ~?

            「たもちゃん。川に落ちるよ~」



  数日後、姉が寄越したメールにはこうありました。

 「『車検に行かなきゃなぁ』って、また地図見てるよ」

   苛立ちを覚えながら私は、すぐさまこう送り返しました。

 「『廃車にするって話だよね』って、促さなきゃダメじゃん」

    姉を、責めるような文面になっていたと思います。 




      14-08-29_957.jpg

           静かに接近。そして静かに凝視。

   この後坊ちゃん手も足も出さず。

        カモは涼しい表情で泳いでいきました。



   父は、考えを変えた訳ではありませんでした。

  「廃車」という選択肢が、

    頭の中に留まっていなかっただけのことなのです。

  昨日話した内容も、数時間前口にした食事のことも、

父の中では既に淡雪のように消え去ってしまうものでしかなく、

     不意に襲ってきた「廃車」という言葉には、

既に丹念に刷り込まれていた「車検」という言葉を打ち消す力など

           持つ筈もありませんでした。

     翌週実家を訪ねた私の前で父は不安げに、

   再び「車検、もうすぐだよなぁ」と繰り返していました。

  「車は、もういいんじゃないの?

 脚がそんなに痺れてるんじゃ運転も危ないでしょ?

  世の中運転の上手い人ばかりじゃないよ。

 こっちが悪くなくても巻き込まれることだってあるんだし」

  父の判断力や運転技術の衰えには一切触れず、

 手を替え品を替え、私はなんとか父を言い包めようと

           躍起になっていました。


  交通事故の発生件数は、年々減り続けているそうです。

それにも関わらず、高齢者による交通事故は減らないばかりか

         増え続けているのが実情です。

  免許証を返納するタイミング、車を手放すタイミング、

見極めるのは本人は勿論家族にもとても難しいものだと感じます。

      認知症を患っている男性が、

 制する妻や娘たちをなぎ倒し怪我を負わせ、

   そのまま車を出し重大事故を引き起こした事例も読みました。

父を運転から遠ざけるのは、家族の責任だと感じていました。

     父を、加害者にさせたくなかったのです。

   
  数十年も前のことになりますが、

     父は交通事故で瀕死の重傷を負っています。

   私がまだ小学生の頃のことです。

 加害者の車が猛スピードのまま突っ込んだのは、

   交差点で信号待ちする父の車でした。

  後に母から聞いた話によると、

医師からは「とても助かるような状態じゃなかった」と言われたということ、

    それから、怪我の状態が酷過ぎて暫く私たち娘を

  病院へ連れていくことができなかったということでした。

 また、警察からの電話で事故を知らされた母の動揺する様は凄まじかったらしく、

「『奥さん、落ち着いて。落ち着いて』って何度も言われちゃった。

         でも、本当に心臓が止まりそうだった……」

    大人になって母からそう聞かされた夜は

     震えが止まらずなかなか寝付けなかったこと、

            今でも鮮明に覚えているんです。   

  事故の解決は裁判にまで縺れ込みました。

    これも大人になってから聞いた話ですが、

 この加害者は数ヶ月前にも事故を起こしたばかりで、

  それまでにも何度となくそのようなことを繰り返しており、

 家は抵当に入れられ近隣でも有名だったということでした。

     今になって思えば、

父が癇癪を起こし易くなったのも事故に遭って以来のことのように

          感じられます。

   事故当時小学生だったとは言え、

私もまた被害者家族の痛みを今も尚引き摺っているのです。

     
   父は、あの頃のあの痛みを忘れてしまったのでしょうか?

  否、自分は事故など起こさない、そう過信しているのです。

        手紙を認めました。

     
 その後、父はようやく車を手放す決意を固めたようでした。

   そして、その決意が揺らぐのを懼れたのか、
   
  手続きの必要性を忘れてしまうことを懼れたのか、

父は驚くほどの速さでその手続きを進めていったのです。

 煩雑なことは全て母任せだった父が自ら受話器を取り、

  車の販売店へと連絡を入れていたのですから驚きです。

   その後間髪を入れず私のところへ電話を寄越すと、

  「廃車のことだけど……。

 あれ、印鑑証明?が必要なんだって」と告げました。

    上ずった声の調子に、

父が頬を上気させ決死の覚悟で販売店へ電話を入れる姿が

       脳裏に浮かびました。  

手続きの方法については既に充分に把握していましたが、 

       私は無知を装い、

「そうなんだぁ。電話してくれたんだね、ありがとうございます。

  じゃあ、書類は私が行って取ってくるね」と伝えました。

    父は安堵した様子で早々に受話器を置きました。

 その後手続きに必要な雑務はほとんどを姉が請け負ってくれ、

   後は車の引き取りに来る日を残すのみとなりました。

   それでもその日、実家へと向かう途上、

  私は押し寄せる不安とまだ闘っていましたね。

車が車庫を後にする時、父は平常心を保っていられるだろうか、

    寂しくなって急に心変わりなどしないだろうか。


   父の反応は、実に拍子抜けするものでした。

     今思えば、

  その時の父は自分の車に何が起きているのか、

    充分に理解をしていなかったような気がします。

  「車、持って行ってくれたからね」

     「ふーん」

  「なんだか、呆気なかったね」

     「……で、いくら掛かったんだ?」

  「お金は、取られなかったよ」

  ※ 実際にはリサイクル券なるもので支払っているので、

       無料という訳ではありません。

  「今までずっとあのお店で買ってるから、

     サービスでやってくれたんじゃない?」

    「ふーん」

 聞こえているのかいないのか父の反応はあまりにも薄く、

     あの不安は徒労に過ぎなかったのだと、

容易く肩の荷を下ろせたことに私は寧ろ感動すら覚えていました。
      
   感傷的になることもないんだなぁ、

     まあ、車に特別思い入れもなさそうだし。

       その時の私は、

父の気持ちをその程度にしか慮ることができなかったのです。

     
    翌週実家を訪ねると、

私は母が親しくしていた近所の女性にこう話して聞かせました。

  「うちの車、この前めでたく廃車にしました~」

 私は恐らく、ひどく得意げな表情を浮かべていたと思います。

    「お父さん、よく首を縦に振ったねぇ」

   父が頑固なことは、彼女も重々承知していました。

  「それがね、案外あっさり『廃車にするかぁ』って」

    「意外だねぇ。でも、まだ呆けてないってことじゃない?」

  「案外、まだしっかりしてるのかも。

    けど、そのうち『俺の車どうした? 盗まれてるぞ!』

            とか言うようになったりして……」

    「そうだよ、そうだよ。まだまだ分からないよ~」

      彼女はカラカラと声を上げて笑い、

  私は大役を果たした充足感に溺れていたのです。

    父の気持ちが置き去りになっていることに、

     私はまだ気付いていませんでした。





     おとーちゃんが、ちょいとお出掛け。

     
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             そんなとこで拗ねてないでぇ 




   14-08-23_1128.jpg


            そんなふうに待たなくても…… 



     
     ※ 廃車のことはまた書きます。




その間(はざま)

        ※ 予約投稿です。 


   実家の父の状態が、あまり思わしくありません。

     身体的に……ではなく、精神的にです。

       脳の状態が、良くないのです。

  素人目から見ても、父は認知症を患っています。

   素人目でしか見られないのは、

     父を病院へ誘うことが未だ叶わずにいるからです。


    「認知症のこと、調べておいてくれる?」

 初めてそう母から頼まれたのは、いつのことだったでしょうか。

      母が逝って三年以上が経ちますから、

    もう四、五年も前のことかもしれません。

   物忘れが激しい、見当違いのことを言う……、

  おそらく初めのうちはその程度の症状だったのでしょう。

   その後母の膵癌が見つかり、

真夜中土砂降りの雨に打たれ額から血を流しながら父が帰宅した時にも、

   妻の余命を知らされ悲嘆に暮れたが為のことなのだ、

 そう信じることで家族はみな父のその奇怪な行動について

           自らを無理に納得させていたのだと思います。

    なぜあの土砂降りの中、外へなど行ったのか?

  家族にそう問い質された父が口にした
   
    「だって、ウォーキングに行かなきゃと思って……」

               という台詞にも無理やり蓋をして。

   ウォーキングは、当時両親が日々の日課にしていたことで、

まあ出不精の父を引っ張り出すのに母は相当苦労していたようですが、

   それでも調子のいい時にはかなりの距離を歩いていたらしく、

  また通りすがりの庭先の花々に季節の移ろいを感じながら、

       夫婦の穏やかな会話を楽しんでもいたようで、
    
 父にとってもそれは妻との歴史を紡ぐ欠かせぬ修行(笑)だったようです。


     勿論冷静に考えれば、 

 真夜中それも土砂降りの雨の中

   たった独りでウォーキングに出るなど、

        正気の沙汰とは思えません。

    ただその時は、

 余命を告げられた母を気遣うことが全てのことに優先され、

      母は勿論姉もそして離れて暮らす私も、

父が既に患い始めているということに考えが及ばなかったのです。




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           たもちゃん。その体勢、辛くないかい?




   その後母が逝き、

  感傷に浸る間もないまま葬儀を終え四十九日を迎え、

    一人少なくなった家族構成にもいつしか慣れ、

 満ち足りているとは言わないまでも

   父はそれなりに日々を送っているものだと思っていました。

  勿論、記憶が曖昧になり知的好奇心も弱くなり、

今まで当たり前に理解できていたことに対し

     不安げに首を傾げるようなことも増えてきてはいました。

   ただ「病院で、少し診てもらおうか」と促すには、

      父はまだ頑強過ぎました。


   
     夫に、零したことがあります。

  「認知症ってさ、

急に『あー』とか『うー』とか訳分かんなくなっちゃうもんじゃないんだよね」

    「そんなぁ。いよいよそういうふうになったら

      意思の疎通ができなくなっちゃって寂しいと思うよ」

  「ふーん。

   けど、子供の頃から意思の疎通なんてできた試しがないもん」

      「へ?」

   夫は大いに呆れ、そして嘆息を漏らしました。

実際子供の頃より、父に思いが通じたと感じた記憶はあまりありません。

     「お前は変わってるなぁ。俺から見たら、宇宙人みたいだ」

  私は私で、父の話に熱心に耳を傾けるフリを演じながら、

その実どこか冷めたまま、父が話し疲れて自室へ篭もるまで、

    ただ無意味に時をやり過ごしていたように思います。

 父の話が有意義であろうがなかろうが懸命に頷き続けていたのは、

      そうしなければちゃぶ台が返され、

投げつけられたリモコンによりひび割れたテレビ画面を

        目の当たりにせざるを得なくなるからでした。



      
       14-05-04_1649_20140818183726272.jpg

       “オヤツ場”から動こうとしないたもやん。

 「かーちゃん、オヤツ出すまで動かないよ」と言ってます。

          ワンコとは意思の疎通ができるのにね。




      ともあれそれは、

  雨の一滴がいつか岩盤に穴を開けるように、

    静かにそしてゆっくりと、 

   父の脳を蝕んでいったのでした。

     
      夫に告げました。

  「うちのお父さん、結構呆けてきちゃってるからね」

 「そんなぁ。娘のところにちゃんと電話してこられるんだから、

             全然呆けてなんかないでしょ」

    励ます為か慰める為か、

      夫はそう言ってカラカラと笑いました。




       14-05-25_833.jpg

          そうやって上段から構えてるうちにさ、

       みんなはほら、もう河原一周してきちゃってるよ。

           


   「お祖母ちゃん、最近よくフラフラと出掛けていくよね」

      「お母さん、また火を点けっぱなしにしてたでしょ」

 「お祖父ちゃん、弟が亡くなったのはもう三十年も昔の話だよ」



       「お父さん、……もしかしたら認知症なのかも」



    「認知症」と「そうでない」間(はざま)って、

                いったいどこにあるのでしょう。

       「骨を折ったんだね」

           「指を切ったんだね」

   そんなふうに分かり易い症状ならば

       誰でも躊躇うことなく病院へ向かうものなのに、

     「ちょっと度忘れしたからって」

       「ちょっと道を間違えたからって」

   病人扱いされるなんて心外なんだよ……、

 そう受診を拒みたくなる気持ち、私にも理解はできます。





       14-08-18_1215.jpg

        「かーちゃん、入れてよ」

    そんな目で……。こっちが虐待してるみたいで凹むわ。





     「俺が死んだら……。俺の家が乗っ取られちゃう!」

   ここ数日、実家の父を悩ませるのはそんなこと。


 認知症の中核症状の一つでもある、「もの盗られ妄想」ですね。

そもそもが妄想的になりやすい素質を持つ父が繰り広げる「作り話」

     それはもうこちらの度肝を抜くものばかりで、

   「作り話」に絡み付いた「作り話」を解きほぐすのは、

       常人には容易いことではない訳で……。


妄想を治療する抗精神病薬が効果を上げることもあるというので、

      病院で診てもらう方を探ってはいるのですが、

           益々頑なな父のこと、

 自身が「認知症」を認知することなくお迎えを待つばかりなのかと、

    周囲は懼れを抱きただ見守るばかりなのです。




       14-07-25-76_20140818183728e28.jpg


            とーちゃん、涼みに行こうよ~ 




      
  実はとても切羽詰った状況なので、

     今後益々ネガティブ記事が増えるかも……。

    暗いの嫌なんだよ!って方は、スルーしてくださいませ 



プロフィール

たもこ

Author:たもこ
生後2ヵ月で我が家にやってきた柴犬たもつ。
日々進化を続けるたもつと彼に翻弄される犬素人夫婦の日常を綴ります。
旧名たもつ先生です。
たもつ ♂ 
2007年10月19日生まれ

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